趣味がきっかけで知り合った人の縁は趣味が変われば簡単に切れる

生来、飽きっぽいたちで、勉強でも仕事でも一つのことに腰を据えて取り組むことができない。趣味もまた同じ。昔はミステリが好きだったが、今はほとんど読まなくなっている。その代わりにライトノベルに手を出した時期もあるが、それも最近はご無沙汰だ。そもそも本自体を読まなくなった。そのかわりになぜか美術に興味をもつようになったのだが、その中でも関心の移り変わりは激しく、去年は印象派の展覧会を好んで見に行ったものだが、今年は専ら江戸絵画ばかりだ。
さて、かつてミステリを愛読していた頃の知り合いに先日10年ぶりに再会した。当然、ミステリの話で盛り上がる……はずが、最近のミステリを全然読んでいないものだから全く話にならない。ああ、取り残されてしまった。そう思うと寂しくなるが、それで飽きっぽさが治るわけでもなく、ミステリへの関心が復活するわけでもない。そっち方面の人脈とは距離を置いて、そっと静かに暮らしていくのがお互いのためだ。
同じことはライトノベルについても言える。過去のラノベ全盛期の傑作群をスルーしているので基礎的な素養が欠けているうえに、最近はやりの人気作もあまり読んでいないし、さらにここ数ヶ月は積ん読に嫌気がさして新刊をほとんど買っていない。辛うじて日日日は今でも追いかけているが、既に未読作品が5冊も溜まってしまった。そろそろ潮時だ。
こうやって、あっちにふらふら、こっちにふらふらとつまみ食いのように趣味の世界を渡り歩いていると、この先いったいどこまで流されてしまうのだろうと不安になる。としをとってだんだん新たな人間関係を構築するのが億劫になる一方で、これまでの人の縁がどんどん切れていき、ついには誰もいない暗がりに一人置き去りにされてしまうのかと思うと気が滅入る。趣味で結びついたコミュニティを自ら離れているのだから、客観的にみれば話が逆ということになるのだろうが、主観のうちでは他人を置き去りにしているつもりはなくて、自分のほうが置き去りにされているという感じがする。これは一種の被害妄想なのかもしれないけれど。
さてさて、いったいどうしたものか。どうにもならないよなあ。