不意打ちの楽しみ

嘘つき。―やさしい嘘十話 (ダ・ヴィンチ ブックス)

嘘つき。―やさしい嘘十話 (ダ・ヴィンチ ブックス)

いくつかの偶然が重なって、この本を読むことになった。
第一の偶然は、会社の近くにある行きつけの小さな書店で別の本を探して見つからず、何となく諦めきれずに棚の下のほうに目をやったことだ。
この本が出たのは三ヶ月ほど前のことで、それ以降に何度も同じ棚の前に立っているのだが、探し物があったせいで多少注意して背表紙を見ていたせいか、メディアファクトリーの頭文字「M」を図案化したマークがこの時初めて目に止まった。
へぇ、メディアファクトリーからMF文庫J以外にも文庫本が出ていたんだ。
背表紙にはレーベル名が書かれていないので、棚から手にとって確認してみた。「ダ・ヴィンチブックス」だそうだ。カバーの紙質、本の下半分近くを覆うオビ、小説アンソロジーなのに上野樹里の写真、何ともいいようのないタイトルとキャッチフレーズのセンス、どれをとっても「いかにも『ダ・ヴィンチ』」という感じで、特に興味をそそられる要素はないのだが、オビに「光原百合」という名前を見つけたので、本を開いてみた。この人の作品が載っている本は目につく限りは読むことにしている。たぶん、初期の数冊と『ポップスで学ぶ英語』*1以外はほとんど読んでいるはず*2だ。
あ、こんなところで小説を発表していたのか、知らなかった。
ここで第二の偶然。本を見つけたのは会社の昼休みで、今にも雨が降りそうな天気だったこと。会社に戻れば置き傘はあるが、今すぐ戻らないとずぶ濡れになりそうだ。
10人の作家のうち名前を知っているのは光原百合のほか2人だけ、しかもどちらも1篇も読んだことがないし、特に読みたいとも思わない。光原百合の短篇1つを読むのにさほど時間はかからない。書店の人には申し訳ないが、天候に不安がなければその場で立ち読みして済ませていたかもしれない。短篇1篇のために590円+税を払うのは少しもったいない気もしたが、やむを得ず本を買うことにした。
まあ、あと10年くらいは個人作品集に収録されることはないだろう*3し。
で、会社に戻って目当ての光原百合「木漏れ陽色の酒」だけ読んで、本を鞄に仕舞おうとしたとき、第三の偶然が発動した。読みかけの某ライトノベルが鞄の中に入っていなかったのだ。前の晩に鞄から出したまま入れ忘れてしまっていたらしい。手持ちの本はさっき買ったばかりの『嘘つき。』だけ。仕方がないので、他の作家の作品を最初から順に読んでいくことにした。
このアンソロジーの収録作はもともとWEBダ・ヴィンチに掲載されたものらしい。今アクセスすると、そのコーナーのトップページだけが残っていて、既に小説本体の掲載は終了している。本では最初から4番目に収録されている「木漏れ陽色の酒」がトリだったようだ。他の作品の掲載順は知らない。
アンソロジーのテーマは本のタイトルが示す通り。発表媒体が想定している読者層に合わせたのか、恋愛辛みの人間関係にまつわる嘘を扱った作品が多い。もしかしたら、そんな小説を書きそうな作家ばかりを集めたのかもしれないが。光原百合以外の作家の作風は知らないので何とも言えないが、各作品の扉の次のページに附された簡単な作者紹介を見ると、一人だけ「日本推理作家協会賞短編部門を受賞」と記載されていて、少し場違いな印象を受けた。「木漏れ陽色の酒」はミステリではなくてファンタジーだが、一般文芸の中でちょっと浮いているような気が全くしないわけでもないような感じがほんの少しばかりそこはかとなく漂っているようだった。いつもの光原節だが、疑似西欧中世風の舞台設定に日本名の登場人物という組み合わせが面白かった。
その他の作品も、ふだん一般文芸*4を読み慣れていないせいか、新鮮な気持ちで面白く読めた。食わず嫌いはよくないものだ、たまにはこういう普通の小説も読んでみるのもいい、と思いながら読み進めていった。
不意打ちを食らった。
ぬっと現れたその小説はあるジャンル小説のコードに則り、今となっては古典的なガジェットを核としているにもかかわらず、「ダ・ヴィンチ」っぽい独特の雰囲気が煙幕となって、途中でそれが示されてもまだ目が眩まされたままで、テーマに奉仕する単なるオブジェに過ぎないと軽く見てしまい、最後の最後で驚愕の結末を迎え、しばらく茫然自失の状態に陥るほどだった。これは全く迂闊だった。まさか、こんな小説がこのアンソロジーに入っていようとは。
詳しく書くと未読の人の興をそぐことになるのでぼかすが、たとえて言うなら「監獄部屋」*5と「古風な愛」*6を足して2で割ったような驚きだった。
というわけで、「監獄部屋」と「古風な愛」をこよなく愛する人に『嘘つき。』を強くお薦めしたい。
えっ? 「作者名と作品名は?」って? ここまで書いてしまった以上、それは明かせません。『嘘つき。』を通読すればわかることなので、是非御自分でお確かめのほどを。

*1:ここを参照。

*2:と思ったが『小説ルパン三世 (FUTABA・NOVELS)』はまだ読んでいなかった。

*3:この推測には確かな根拠があるわけではない。

*4:ここでは「一般文芸」を「非ライトノベル」という意味ではなくて「非ジャンル小説」という意味で用いています。念のため。

*5:作者は羽志主水。『日本探偵小説全集〈11〉名作集1 (創元推理文庫)』に収録されている。余談だが、「監獄部屋 羽志主水」で検索したらタコ部屋労働 - Wikipediaが引っかかった。

*6:星新一の代表作の一つ。『妄想銀行 (新潮文庫)』に収録されている。昔はこれが星新一の最高傑作だと思っていたが、年をとるにつれて、同書所収の「鍵」のほうが上ではないかと思うようになった。でも「古風な愛」は今でも大好きです。