AdventureのないAlice、または孤独増幅装置としてのインターネット

不思議の国のアリス』の原題は”Alice's Adventures in Wonderland”だが、しばしば”Alice in Wonderland”と表記される。これはディズニー映画のタイトルだと何かの本で読んで知って、それから長い間、アニメ版のタイトルが誤って原作のタイトルと混同されたものだと思いこんでいた。
ところが、ある時*1、『不思議の国のアリス・ミステリー傑作選 (河出文庫)』というアンソロジーを読んでいると、そこに収録されていた小栗虫太郎の「方子と末起」*2で「不思議の国のアリス」に「アリス・イン・ワンダーランド」とルビが振られているのを発見し、これまでの思いこみが全く誤りであることを知った。なぜなら、ディズニー版「アリス」は1951年の作だが、「方子と末起」はそれよりも前、1938年に発表されているからだ。
この発見は個人的には非常に興味深いものだったが、他人には言わなかった。というのは、当時、そんなこと*3に関心のある人が周囲に誰もいなかったからだ。興味関心を共有できる人が近くにいないというのは孤独なことだ。
それから長い年月が過ぎて、今述べたようなことはすっかり忘れてしまっていたのだが、今日ふとしたはずみにそれを思い出した。今も近くにはそんなことに関心のある人はいない。だが、今はインターネットがある。近くにあらずんば遠くを見よ!
だが、よく考えてみると、世間の「アリス」ファン諸氏にとってこんなことは全くとるにたらない瑣事に過ぎないだろう。インターネットは遠隔地に拡散した人々を集約する機能をもつが、同時に生半可な知識を無効化する力もある。「アリス」の原題から「Adventure」を抜いた略称がいつ頃から使われるようになったのか、そして日本ではその略称がいつ頃に受容されたのかを調べるのでなければ、全く意義はない。そう考えると、インターネットは孤独を癒す装置というより、それをさらにいっそう増幅する装置であるように思う。

追記(2007/07/09)

「アリス」の原題にまつわる話題など。
ところで、上の記事を書いたきっかけの「ふとしたはずみ」とは、近所の書店で『不思議の国のアリス・オリジナル』を見かけたことを指す。てっきり、とうの昔に絶版になっていたと思いこんでいたので、少し意外だった。
そういえば、『子供部屋のアリス (挿絵=テニエル)』という本もあったが、これもまだ生きているのだろうか。

*1:たぶん1988年頃のことと思われる。

*2:これは青空文庫で読める。どうでもいいが、この小説のタイトルをずっと「方子と未起」だと勘違いしていた。

*3:「アリス」の原題はもとより、「アリス」の物語そのものに関心のある人すらいなかった。