ライトノベルの文体についての雑感
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とりあえず目についた記事を集めてみた。順番はいい加減なので、あまりに気にしないように。
ライトノベルの文体一般について議論を深めようとするなら、2つの点で状況整理ができていなければならない。
わ、これは大変だ。
議論を深めるのは諦めて、雑感を述べるだけにしておこう。
まず、明示的に槍玉に挙げられている『狼と香辛料』については、次の意見に概ね賛成する。
『狼と香辛料』について。スレイヤーズとかブギポとか、そういう高レベルのヒット作は数年に一度くらいしか出ないという事を大前提として。まず異世界中世ファンタジーモノという要素。これが従来では戦記モノと組み合わさっていた所に経済を組み合わせて中世ファンタジー+経済にしたのが新奇だったということが評価の軸なんじゃないかと。んで、ヒロインが狐の神ということで、獣娘系・非人間系のキャラクターの類型。その類型に廓言葉?をミックスしてそれが良い感じにツンデレ&エロスなキャラ属性を醸造できたこと。あと最近は作例が少ないロードムービー的な作り。
それらの組み合わせが優れていたということが評価が高かった点ではないかと思う。「組み合わせ」としたのはバラバラに解体してしまえば中世ファンタジーとか獣少女とか、オリジナリティの無い要素で成り立っているという視点があるから。その背後には”獣娘と言えば「あそびにいくヨ」や「我が家のお稲荷さま。」があって、これもあってあれもあって……”という膨大なデータベースに裏打ちされてるモノを読んでいる(ぼくに限ってはw)。
もちろん、純粋に面白いからというのもある。『狼と香辛料』は多分、その年に出た”新人”作品でのトップ1。けれども、数年に1作、10年に1作という評価ではない。その年の新人でマストな人ではある。
「概ね」と留保したのは、「ヒロインが狐の神」という点だ。私見ではホロは猫4:犬6であって、狐要素はほとんどない。もっとも、小梅けいとのイラストを見た感じだと、マンガ版では外見面で狐分がプラスされるかもしれない。
ともあれ、『狼と香辛料』は、ライトノベルファンの間で文体が評価されて人気が出たわけではない。むしろ否定的な意見のほうが多かったと記憶している。
その意味では
それと、すべてがそうだというつもりはありませんが、評判をたよりに私が手に取る数少ないライトノベル出身作家の書く文章の中には、ある種の業務文書風というか、「キャラクターを描写するために選ばれた制度言語」みたいなものに感じてしまうものがあります。ハイファンタジーに一家言のある人が数人注目していたので買ってみた『狼と香辛料』も、文章それ自体は、ありきたりの味気ないものでした。もうちょっと文章にクセがあってもよさそうなものですが。
この感想はライトノベルファンが『狼と香辛料』を読んだときのものとあまり大きく違わないのではないかと思う。
問題は次の箇所だ。
古典文学を読む私のライトノベルに対する〈読み〉そのものがスタイルとして古いといわれればそれまでですけれども、もし実際そうだというのであれば、どのような〈読み〉であればあの「物語専門新聞記者」のような文章を楽しく読めるのが、大変気になっています。そういえば『狼と香辛料』については、「これは文章にリズムなんかないな」と思ってしまってから、新聞を読むように、パッと「面で見て」意味を把握する読み方に切り替えてしまったのですが、その方がむしろ読みやすかったことにほんとうに驚いてしまいました。
ここで筆者は自分の読み方がライトノベルファンのそれとかなり違っているという前提で、「物語専門新聞記者」の文章を面白く読める読み方を問うている。だが、古典文学に親しんでいようがいまいが『狼と香辛料』の読み方にかわりはないのだから、そんなことを問うても意味がない。
もしライトノベルファンの読み方の特徴をあぶり出して論じたいと思うのなら、文章が平凡なものよりクセのあるものを例にとったほうがよかったのではないだろうか。たとえば中村九郎とか中村九郎とか中村九郎とか。
ところで
ということは、同じ「小説」というカテゴリで売られているとはいえ、ライトノベルの魅力は「文体の魅力で売る小説」とは別の評価基準を持っていると考えても差し支えない、ということが、どうも確かなようです。「ライトノベルには、ライトノベル独自の読みがあるのではないか」ということについて疑問が氷解して、とてもすっきりしました。
これはよくわからない。そもそも娯楽小説の分野で「文体の魅力で売る小説」が一世を風靡したことがどの程度あるのだろうか?
追記
本文の話題とは全然関係ないけど、ラノベと非ラノベの関係について言及しているので紹介しておこう。
もちろん、あいかわらず世界設定は恐ろしく薄っぺらなんだけれど、初心者向けのファンタジィとしてはこれはこれくらい割り切っちゃうこともありなんじゃないかな。
やっぱりファンタジィには分厚い設定がないと、と思われる方はジョージ・R・R・マーティンの『氷と炎の歌』を読みましょう。金槌で叩いてもひびも入らないくらい分厚い設定がそろっています。
これは注意するに値することだけれど、ライトノベルはライトノベルオリジナルの要素だけで出来ているわけじゃないんだよね。
たとえば好きな女の子のために命をかける、なんてヒロイズムは、ラノベとかオタクとかツンデレといった概念よりはるかに古いものだ。ディケンズでも読んでみればわかる。
新奇なところだけに注目していると、そういうところが見えなくなる。そういうものが好きだ。