スポンサーから他人事
- 作者: 米澤穂信
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2007/08
- メディア: 単行本
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『インシテミル』は米澤穂信の9冊目の単著*1である。前著『ボトルネック』が去年8月末に出た後、『失礼、お見苦しいところを』と『身内に不幸がありまして』という年間ベスト級の傑作短篇が雑誌に発表されているが、単行本では1年ぶりのお目見えということになる。
『ボトルネック』は従来の米澤穂信の作風からかなりかけ離れたもので*2賛否両論を巻き起こしたが、『インシテミル』はさらに従来の作風からの離脱が図られている。そのことはタイトルにこめられた「(ミステリのガジェットに)淫してみる」という意味*3からも推測できるのだが、よりはっきりと示している作者の言葉を引いておこう。
過去八冊は、多かれ少なかれビルドゥングスロマンとミステリの割合を比で表すことができましたが、今回はミステリだけです。
ついでに、さっき見かけた、はてなダイアリー初の『インシテミル』感想文からも引用してみる。
今日は米澤穂信の新作の『インシテミル』を読んでみた。じつは僕は米澤作品を読むのが初めてだったんだけど、ピンとこなかったなーというのが正直な感想だった。米澤は青春ミステリとか乙女男子パフォーマンス系とか呼ばれているようだけど、どこらへんが青春でどこら辺が乙女なのかもわからなかったし。とりあえずネタバレ回避のためにものすごい抽象的に感想を書いてみる。つっても話の骨組みははいってるので人によってはネタバレかも知れんけど。
この感想には非常に納得した。なお、今引用した箇所に続く文章で『インシテミル』の構造が非常によく分析されているので、既に『インシテミル』を読んでいる人はぜひ参照されたい。もともと米澤穂信の小説は感想文が書きにくいのだが、先にこういう的確なことを書かれてしまうと、後から感想を書くのは非常に苦しい。苦し紛れにかなりルーズな話をしてみよう。
『インシテミル』は非常にあざとい。まずタイトルがあざとい。副題(?)の『THE INCITE MILL』というのもあざとい。西島大介の装画もあざといし、「見つかった。何が? 私たちのミステリー、私たちの時代が。」とか「時代を変える1000枚!」とか「期待の新鋭が描く究極の殺人ゲーム。この屈託と含羞を、絶対に読み逃してはならない。」というオビのキャッチフレーズもあざとい。「殺人ゲーム」の上の強調点*4はどうしようもなくあざとい。オビの裏表紙側*5はもっとあざとい。どうせなら、「(この感想はプルーフを読んでのものです)」という注意書きをつければもっとあざとかったのに。
このあざとさはもちろん偶然ではなく、何らかの営業戦略に基づくものに違いないが、果たして吉と出るか凶と出るか……。なんとなく逆効果のような気がしないでもないが、まあ、少なくともある種の評論家を誘引する効果はあるだろう。あまり早い段階でいい加減な予想を述べると後で恥をかくことになるので、今は控えておこう。
パッケージの話はこれくらいにしておいて、次に内容について。
主人公の結城理久彦は一見すると典型的な米澤キャラだ。たとえば、22ページの次の台詞は折木奉太郎か小鳩常悟朗のものだとしても全く違和感がない。
「聖書やコーランにだって誤植はあるんですよ。姦淫聖書を知りませんか」
もっとも、ストーリーが進むにつれて結城がこれまでの米澤キャラと異なることがわかってくる。「今回はミステリだけ」なので、折木奉太郎や小鳩常悟朗の抱える屈託が結城には欠如しているのだ。他の登場人物もほぼ同様。『ボトルネック』で失望から絶望へと一歩踏み出した米澤穂信は転進して、さらに荒涼たる沙漠へと足を踏み入れた。道しるべは「ミステリ」のみ。
ただ、この「ミステリ」が結構あてにならない。人払いをしていないので具体的な指摘は避ける*6が、作中で提示される〈ルールブック〉の文言には技術的瑕疵が多い。一部の特殊なミステリ読者なら、〈ルールブック〉が提示された段階で、推理しようという意志を放棄するだろう。また、言うまでもないことだが、一部の特殊なミステリ読者以外の人は最初から推理意欲などない。
そういうわけで、『インシテミル』は推理意欲のない読者を対象に、ミステリの残骸をこれでもかこれでもかとばかりに見せつけつつ、最後まで読者の興味を惹きつける技を繰り出した小説だといえる。ミステリの残骸を見せつける小説はここ数年は特に珍しいものではないが、そういう傾向の小説が苦手な読者でもたぶん読み通すことができるだろう。その技巧性は素直に評価したい。でも、米澤穂信の宿命のライバル*7、北山猛邦に比べると……まあアウェイだから仕方がない。
しかしそれにしても、これは本当に感想文の書きにくい本だ!