まるでホームズのような

少年検閲官 (ミステリ・フロンティア)

少年検閲官 (ミステリ・フロンティア)

ホームズといってもシャーロック・ホームズではない。H・H・ホームズだ。H・H・ホームズといっても殺人鬼ではない。ミステリ作家のほうだ。「それなら素直に『アントニー・バウチャー』って書けよ」とツッコミを入れられそうだが、『少年検閲官』を読んで連想したのがホームズ名義の『密室の魔術師』だったのだから仕方がない。文句があるならバウチャーに言ってくれ。もう死んでるけど。
さて、『少年検閲官』を読んで、なぜ『密室の魔術師』を連想したのか。一言でいえば、トリックが似ている。ただし、全く同じというわけではない。見方によっては正反対だ。水と火くらい違っている。でも、トリックの使い方の強引さは非常によく似ている。
今、調べてみたところ、『密室の魔術師』が訳載された「別冊宝石」99号には都筑道夫が寄稿しているらしい。読んではいるはずだが、全然記憶にない。もしかしたら、ただの作者紹介なのかもしれないが、もし作品の内容に踏み込んで論評しているのなら、都筑道夫のことだ、かなり酷評しているのではないだろうか。あ、なんだか気になってきた。でも、倉庫のミカン箱の奥底から「別冊宝石」を発掘する手間をかける気はない。誰か、「別冊宝石」の当該号を持っている人がかわりに調べて、今日のコメント欄にでも書き込んでくれると非常にありがたいのだが……まあ、そんな人はいないだろうな。
さて、都筑道夫がもし『少年検閲官』を読んだならどう評しただろうか? トリックのためのトリック、あまりにも不自然な登場人物の心理、仰々しく洗練に欠けた描写。一言、「昨日の本格」と切り捨てられていただろう。もちろん、本人に『少年検閲官』の感想を聞くことはできないから、これは仮定の話に過ぎないのだけれど。ツヅキ・イズ・デッド。
だが、実は意外と都筑道夫的なミステリの読み方は、今でもかなり影響力を持っているのではないか、そう思うこともある。きわめて人工的で不自然で、子供っぽくて幼稚で、技巧的で装飾的で、非生産的で反社会的な読み物であるミステリ、そんなミステリを愛しつつもそれに耽溺し陶酔しきれない人々にとっては、外部からのミステリ批判の常套句を取り込んで逆にミステリの正当性の主張へと転じた都筑道夫は今でも導師であり続けているのではないだろうか。ミステリについて書かれた文章に「必然性」という言葉が使われているのを見かけるたびに、都筑道夫の影響を想像してしまうのだ。うーん、さすがにこれは考えすぎか。
それはともかく、少なくとも都筑道夫的「動機の必然性」を重視する立場からみれば、『少年検閲官』とは、それについて語るときについ腕組みをしてしまう、そんな小説だ。手放しで傑作だとは言い難い。良作・佳作に位置づけるにも欠点が目立つ。バカミスのレッテルを貼るのにも躊躇する。破天荒な怪作だと評しようとすると過去の読書歴が邪魔をする。
……ああ、こんなことを言いたいんじゃなくて。
本当は思いっきり褒めたいんだ。面白いから一度読んでみてよ、と薦めたい。実際、数人の知人にはそうやって『少年検閲官』を薦めてみた。でも、こうやって『少年検閲官』の感想を文章にしてみると、素直な褒め言葉がなかなか出てこない。腕組みをしてしまう。腕組みをしたままだとキーボードを叩けないから今は腕を組んではいないけど。
最近飽きっぽくなって、いったん読み始めた本でもすぐに中断して別の本に浮気するのが常態化していて、いつも複数の本を並行して読んでいるのだけれど、『少年検閲官』は例外で、買ってきたその日の夜に本を開いて「序奏」を読み始めてすぐに作中世界にひきこまれてそれから約3時間のあいだ一回も本を閉じることなく「終奏」*1まで読み終えたのだから、これが面白くないわけがないのだ。しかし、どこがどう面白いのかを説明しようとすると、たちまちお手上げとなる。『少年検閲官』の面白さを読み解き、言語化する理論的枠組みはきっとどこかにあるはずだ。でも、ここにはない。ここにあるのは世界設定の綻びを診断するための分析ツールと、作中で用いられているさまざまなモティーフの突合のためのデータベースと、手がかりから真相への推理の妥当性を判定するルールブックだけだ。そんなものは『少年検閲官』には全然役に立たない。
そうこうするうちに、この感想文を書き始めてはや3時間半、『少年検閲官』を読むのに費やした以上の時間が経過してしまった。できれば未読の人の興味をそそるような気の利いたトピックスでも取り上げられればよかったのだが……あ、いま一つ思い出した。
昨年、同志社大学ミステリ研究会米澤穂信講演会で、米澤穂信が現役ミステリ作家の中で唯一、北山猛邦をライバル視していた(ような気がする)。確か、今度出る予定の『インシテミル(仮)』は北山猛邦への挑戦状だと意気込んでいた(ような気もする)。もちろん、時期的に『少年検閲官』を念頭に置いた発言ではないはずだが、版元が東京創元社でレーベルがミステリ・フロンティア、しかも装画が片山若子、という因縁もある。これまで北山作品を読んだことがない米澤ファンも一度手にとってみては如何?
よし、これで何とか締めくくることができた。念のため、「CHAMELLEON」第22号の講演録を繙くと……あれ?……北山猛邦に言及はしているけど、ライバルとか挑戦状とか、そんなことは言っていない。
これは困った。
でも、まあいいか。

*1:どうでもいいことだが、「序奏」と対になるのは「後奏」では?