ミステリと矛盾と論理学

現代の標準的な論理学では、「SはP、かつ、Sは非P」の場合、Sは存在しないとされます。Sが存在し記述が真の前提なら矛盾になりますが、仮説形成においては矛盾があれば仮説が却下されるだけで、「任意の命題が導出可能」にはなりません。

これが地の文でなく会話文であれば、もちろん偽の記述もするし矛盾した発言もあるでしょうが、任意の命題を導出して森羅万象を結論したりしないでしょう。

だから、問題は地の文の存在論をどのように位置付けるかですが、推理小説は、論理命題の証明体系ではなく、虚構内の犯人や殺人方法を推論・推測する創作物なので、矛盾している箇所は単に無意味な情報(書いていないに等しい)だという立場を取ります。

旅行から帰ってきたのでがしがし書くよっ!
……と思ったのだけど、むちゃくちゃ眠たくなってきたので手抜きモード。現代の標準的な論理学での矛盾の取り扱いについてはここを参照されたい。残念ながら英語で書かれているので地の文は全く読めないのだが、矛盾から任意の命題を導出するプロセスは論理記号で書かれているのでよくわかる。
さて、論理学の話はここまでにして、ミステリにおける矛盾について少し述べておこう。
私見では、ミステリの地の文で矛盾した情報が提示されているならばそのミステリはアンフェアだ。なぜアンフェアかといえば、「地の文で偽の記述をしてはならない」というルールに違反しているからだ*1。「読者の知らない手がかりによって解決してはいけない」というルールに違反しているからではない。仮に、矛盾した情報と全く関係のない情報のみを用いて事件が解決されるのだとしても、やはりそのミステリがアンフェアだということに違いはない。
たとえば、ある事件の犯人が女性であり、かつ、ドイツ人であることが明らかになっているとき、「かの中二病の魔王は男性だ。だから彼女はこの事件の犯人ではない。なお、魔王はドイツ人だ」という記述が与えられていたとしよう。読者は魔王の性別に関する矛盾した情報に目を白黒させるが、作中の名探偵は犯人の性別には一切触れず、関係者の中で魔王ただひとりがドイツ人であるという理由で彼もしくは彼女を犯人だと指摘する。この場合、「読者の知らない手がかりによって解決してはいけない」という条件には抵触しない。
だが、「犯人の性別に関する手がかりは読者をミスリードするための罠だったのだ。魔王の性別に関する矛盾した情報に惑わされた読者は作者の罠にまんまと引っかかったことになる。ここは冷静に考えて、矛盾した情報は最初から書いていなかったものとみなして、本当に解決に必要な情報に目を向けるべきだったのだ」と言われて納得できるだろうか?

*1:なぜそう言えるのか、ということを説明するのは長くなるので省略。本当は、作中に矛盾があるにもかかわらずどこにも偽の記述がないという特殊ケースについても考察すべきだが、そこまで手が回らない。