高度に発展した都市に住む人は郊外と山村の区別がつかない

昨年大いに流行した「限界集落」。そして、「限界集落」ほどではないけれど、そこそこ知られるようになってきた「コンパクトシティ」。このふたつの言葉は全然別の文脈から生まれてきたもので、本来対比して論じるべきものではないのだが、最近どうも両者を同じ土台で論じる人が増えてきているような気がする。いや「論じる」と言えば聞こえはいいが、はなから結論は決まっている。「限界集落を維持するのにはコストがかかる。そんなことに余計な金を費やすより、集落に残った人を中心市街地に移住させて、コンパクトシティを目指すべきだ」という結論が。
全くばかげた主張だが、地方都市の規模とか、中心市街地と郊外の距離とか、平野部の農村地帯と山間の小集落の違いとか、そういった事柄について知識のない人には、どうやらこの種の意見がまともに見えるらしい。彼らにとっては世界は都会とそれ以外の二つしかない*1のだ。だから、「限界集落」と「コンパクトシティ」を同じ問題圏に属する用語だと思いこんでしまうのだろう。
誤解の原因ははっきりしている。多くの都会人は滅多に都会から外に出ないし、出たとしても行き先は温泉地とかスキー場とかリゾート地とか、そういった場所だから、「都会以外の場所」にもいろいろあることがなかなか実感できない。だが、原因が確かだからといって、誤解を解くのが簡単だということにはならない。論より証拠、一度観光地でもなんでもない、記号化されていない「ただの地方都市」「ただの郊外」「ただの農村」「ただの山間地域」を、ローカルバスか何かに乗って見て回れば、感覚的に掴めるものがあるはずだが、わざわざそんな労力と時間をかけてそんなことをしてみようと思う人は稀だろう。それ以外の大多数の人々には、いったい何が間違っているのか全く理解できないことだろう。
以前、「コンパクトシティの誤用」という文章を読んだことがある。「市政」という雑誌の2007年12月号に掲載された、ごく短いコラムで、筆者は松本克夫という人*2だ。これはいい文章だ、と思った。ただ、残念ながらこの文章はインターネット上には掲載されていないのでリンクを張って参照を求めることができないし、勝手にデータ入力してアップするわけにもいかない。そのうち何かの機会があれば、著作権上問題にならない程度に引用して紹介記事を書いてみたいと思っていたのだが、要約とか粗筋紹介とかが大の苦手なもので*3面倒だと思っているうちに、図書館で「市政」からコピーしておいた「コンパクトシティ」を紛失してしまった。残念だ。
で、先ほど冒頭にリンクを張った2件の記事を読んで非常に感心した。「コンパクトシティの誤用」とは少し論じ方が違っているが、「限界集落」と「コンパクトシティ」を安直に結びつける発想に対する異議申し立てという点では共通している。もちろん、これを読んでもわからない人にはわからないだろう。だが、少しはわかりかけている人なら、ここにどのような概念的混乱があるのかが明瞭にわかることだろう。
なお、今回の記事では「限界集落」も「コンパクトシティ」も括弧に入れることにした。どちらも使っていけない言葉ではないが、おおもとの意味からかなりずれた形で野放図に使われることが増えているので注意が必要だ。

*1:晒すほどの価値もないのでリンクは張らないが、最近ネット上のとあるところで「限界集落」と鉄道忌避伝説を並べているのを見かけてびっくり仰天したことがある! もう、何というか、根本的なところで概念地図が歪んでいるとしか思えない。

*2:寡聞にして、それまでこの人のことは全然知らなかったのだが、グーグルで検索してみると、かなりいろいろな活動をしている人のようだ。

*3:だから、ふだん読書感想文を書くときでも、滅多に本の内容紹介をしない。