昭和二十五年五月二日法律第百三十一号及び同年同月同日法律第百三十二号
たけくまメモ : 竹熊さん、インターネットはヤバイですよ。を読んで、「なんか引っかかるなぁ」と思っていたら、 この違和感はなんだろう - atkonthenetの日記でその理由が明確に述べられていた。
インターネット以前の個人の持てるメディアとして、「海賊ラジオ(自由ラジオ)」が上がっています。でも、この日記で何度か面白がった*1通り、電波が規制の対象なのであって、個人が個人メディアを持つこと自体は多分規制の対象ではない。「海賊ラジオ(自由ラジオ)」の成り立ちや、電波の管理をしているのが総務省だったことも関連するのか、このあたりは論旨に混乱があるように感じました。わたしだけかもしれないですけど。
それに対して、コメント欄で「竹熊」と名乗る人物*2が次のように書いている。
ご批判ありがとうございます。私とatkonthenetさんの間にある「齟齬」はなんなのか考えて見ましたが、たぶん私の大前提にあるのが「国家は、個人がメディアを所有すること(によって生じるアナーキズム)を本質的に好んでいない」ということだと思います。
しかし民主主義を標榜する国家には言論の自由が建前としてありますから、あからさまにこれを禁止することはできない、というだけなんだと思います。
少し誇張していえば、海賊ラジオは電波法違反だとして摘発されるが、これは本当は放送法違反として取り扱いたいのに、放送法に海賊ラジオを取り締まるべき条文がない*3ため「別件逮捕」するのだ、という考え方のように思われる。
一方で「放送番組編集の自由」を謳いつつ、もう一方では規制でがんじがらめにしているので、戦前の普通選挙法と治安維持法の関係に似た雰囲気を読み取ってしまう人もいることだろう。実際、放送法と電波法は同年同月同日に制定されていることだし。もっとも、違法電波それ自体の害も当然あるので、電波規制は形を変えた言論規制だとも言い切れない。たぶん、電波法には文字通りの理念と、国家の暗黙の意図の両方が含まれていて、両者が微妙なバランスを保っているのだと思う。
インターネットの世界には放送法も電波法もないが、仮に「インターネット版放送法」が制定されるとすれば、そこにはやはり「放送番組編集の自由」を盛り込むことになるだろう。それに対して「インターネット版電波法」はどういうものになるのだろうか? たとえば高木浩光@自宅の日記 - 日本のインターネットが終了する日で危惧されているような法律が制定されるのか、それとも、全く別の形で規制が行われるのか……。