冬の時代は近い

発売前にはノーチェックだったが、昨日、書店で見かけてタイトルに興味を惹かれて買った。
読んだ。
……。
ええと、少々昔話をしましょう。
今から約20年くらい前のこと。和歌山県田辺市紀州新報というローカル新聞があった*1。1990年、その投稿欄に端を発した社会運動がやがて日本全国を覆い尽くし、一部マンガ業界に冬の時代が訪れた。それまで盛んに出版されていた、性描写を含む青年向けマンガ単行本の出版がぴたりと止まってしまったのだ。この時代を象徴するのが、1991年の『BLUE*2回収事件だ。奇しくも『BLUE』の作者である山本直樹のデビュー作『世界を駆ける紀州の力』の主人公(?)の東力衆議院議員(当時)がこの運動に積極的に関与しており、「朝まで生テレビ」で二人が対決するという一幕もあった。
厳寒の時期はおよそ1年半程度だったろうか。その後、雪解けが始まり、少しずつ出版流通にエロマンガが流れるようになった。「成年コミックマーク」というスティグマとともに。やがて、この流れはどんどん豊かになり、1980年代を遥かに凌駕するようになった。まるで冬の時代などなかったかのように、人々は春の陽気を満喫した。初春の頃には表紙にはセーラー服姿の少女は出さない、乳首をそのまま描かない、タイトルに「陵辱」「強姦」などの文言を用いない、などの自主規制もあったらしいが、やがて夏が来て、そのような自主規制は忘れ去られた。
だが、夏の日差しが永遠に続くわけはない。2002年には松文館事件が発生し、ほんの2年前に裁判が終わったばかりだ。児ポ法改正の動きは現在も進行中だ。
上では「成年コミックマーク」のことをスティグマだと表現したが、それはまた護符でもある。最善の策であるかどうかは議論の余地があるが、少なくとも冬風に対する風避けにはなっている。だが、いまや、ある種のマンガには風避けが必要だという認識がマンガ業界で共有されていないように見受けられる。講談社が『さくらの唄』の3巻のみに成年コミックマークを付けたことを記憶している人は少ないだろう。A5判ではマークがついていたのに判型を変えて再発売したときにマークをはずした例はいくらでもある。
これっていいのかなぁ、と思うようになったのは、『あきそら (1)』を読んだときからだから、つい最近のことだ。それ以前にも、性描写を扱いながら成年コミックマークのないマンガは何冊も読んでいたのだが、「まあ、どきついエロマンガじゃないから、いいか」と思っていた。もちろん『あきそら』も、今回取り上げた『ツンな彼女がデレるまで』も、どぎついエロマンガではない。でも、やっぱりそろそろ危険水域に差し掛かっているような気がしてならない。
再び冬の時代が来るんじゃないか。その日は案外近いんじゃないか。
特にこの種の問題に通じているわけでもなくマンガマニアでもない一介の素人の、時局を弁えぬ過剰な不安だというのなら、それはそれで結構なことなのだけれど。

*1:現在のわかやま新報の前身にあたるようだ。わかやま新報:会社概要を参照。なお、比較的早くから記事のネット配信を行い全国的に有名になった紀伊民報とは別会社。

*2:これは、いわゆるエロマンガとは路線が異なり、版元も光文社という大手出版社だった。