安く手に入るものに必要以上に金を払うということ

昨日、バレエやオペラは日本の文化か?若者達が本当に文化的貧困を望んでいるとは思えないを書いたあとで、ふと年賀はがきの寄附金付はがきのことを連想した。寄附金がついていようがいまいが年賀はがきとしての機能は同じなのだけど、送り先に届いた時に何らかの違った印象を与える可能性があり、そのために5円余計に払っても惜しくはないと思う人もいるだろう。ゲームや音楽の場合には基本的に購入者が自分で消費するものだから、そういった対人関係での満足感は得られないが、「自分は文化の維持発展に寄与しているのだ」という自己満足をうまく掻き立てることができれば、消費者に必要以上に金を払わせることはできるかもしれない。とはいえ、無形の満足のために金を払うのはある程度金銭的に余裕のある人だけなので、多くの若者にそのような消費行動を期待するのは無理っぽい。
ところで、寄附金付商品といえば、フィリピン産熊野古道バナナのようなものもあって、何とも言えない複雑な気分になる。世界文化遺産を守るために寄附をするのも結構なことだが、公正取引*1の観点はどうなっているのだろうか、と考えるともやもやしてくるのだ。でも、スーパーマーケットで寄附金付バナナと寄附金なしバナナを並べて売ることはできても、公正取引バナナと非公正取引バナナを並べて売るわけにはいかないから、これはこれで仕方がないのかもしれない。

*1:フェアトレード」というカタカナ言葉のほうが馴染みがあるが、ウィキペディアで「公正取引」に転送されるのを見て、なるほどと思ったので、これからはなるべく「公正取引」を使うことにする。