遅ればせながら『サマーウォーズ』をみたので感想文を書くよ

サマーウォーズ』が公開されたのは8月1日のことで、作中でも8月1日という日付には大きな意味がある。できれば公開初日か、その直後にみておきたかったのだが、諸般の事情でのびのびになってしまい、夏の終わりになってしまった。その間に『サマーウォーズ』で盛り上がっている上田市を訪問したのがせめてもの救いか。いや、なにが「救い」なのか、よくわからないのだけれど。
さて、遅ればせながら『サマーウォーズ』の感想文を書く。
よくできた大衆娯楽映画でした。
課題が与えられ、切羽詰まる危機が訪れ、協力者の助力により危機をなんとか乗り越えた、と思ったら実は問題が解決されていなくて次なる危機が……という構成は、ハリウッドの大作アクション映画の作り方と大差ないように思われる。映画を分析的にみる修行は積んでいないので、どこがハリウッド的でどこがそうでないのかをきっちりと具体的に示すことはできないが。
この映画を家族や親戚の絆の素晴らしさを描いたものだと考えることもできるが、そうすると「特殊な人脈や特異な能力をもった人々からなる家族や親戚の絆の素晴らしさ」しか伝わってこない。それではこの映画の価値を矮小化することになるだろう。『サマーウォーズ』の真の面白さは、バトルという「場」における異質な要素の対比の妙にある。たとえば、戦国時代から続く旧家の末裔vs.電脳世界に現れた破壊者、という意表を衝く取り合わせとか、仮想空間における最後の決戦で用いられるあるカードゲームとか。
細かいところをつつけばかなり無理のあるストーリーで、一歩間違えば奈落の底に真っ逆さまという危うい綱渡りを渡りきっているところも高ポイント。もっとも、ひとによっては「渡りきれていない」と評価するかもしれない。
この映画の最大の難点は、上田電鉄の出番がほんの一瞬しかなかったことだ。これでは地方鉄道の再生への寄与は限定的だ。
最後に、『サマーウォーズ』をみているときに連想した作品をふたつ挙げておこう。ひとつは、『大誘拐』、もうひとつは『ねらわれた学園』だ。どちらも映画化されているが、連想したのは小説のほう。『大誘拐』を連想した理由は言わずもがなだが、『ねらわれた学園』のほうは説明が必要かもしれない。『ねらわれた学園』と『サマーウォーズ』は、日常生活を脅かす強大な敵に対して人々が団結として立ち向かうという点で似ているのだが、『ねらわれた学園』には戦国武将の血筋とか警視総監とのコネとか世界的な数学の天才とか、そういったものは全くでてこない。21世紀の『サマーウォーズ』でこんなことをやったらお話として全然説得力のないものになっていただろう。ああ、昭和は遠くなりにけり。