狼と香辛料のたそがれ

狼と香辛料 狼と金の麦穂―DVD付き限定版

狼と香辛料 狼と金の麦穂―DVD付き限定版

1ヶ月遅れだが、昨日、某オタク系ショップで買ってきて、今日、表題作(?)「狼と金の麦穂」*1を読んだ。DVDは未開封
以前、

短篇1つのために3360円も出すのはちょっと抵抗がある。たぶんそのうち文庫に収録されるだろうし、ここは見送るべきか。

と書いたとおり、この本を積極的に買うつもりはなかった。それに、最近、仕事が猛烈に忙しくて、この手の本を売っているような店に足を運ぶ余裕がなかったという事情もあり、1ヶ月スルーしていた。でも、店頭で本を見つけたら、つい魔が差してしまったのだ。
これは前に書いたことがあるかもしれないが、『狼と香辛料』はマンガ版は買っていないし、アニメも見たことはないけれど、原作の小説はずっと買い続けている。しかも、読書用のほか保存用も持っている*2。同じ本を2冊買うというのはかなり異例のことで、作家単位で読書用と保管用を揃えているのは、ほかには米澤穂信*3くらいだ。ライトノベルは基本的に読み捨て本だと考えているし、保存するにしても読み終わった本があれば十分だから、わざわざもう1冊買う必要は全くない。だのに、『狼と香辛料』に限って保存用を買ってしまうというのは、一種の呪いのように感じられる。もしかしたら、前世でホロと一緒に旅していたことがあって、その記憶が深層意識にインプットされているのかもしれない。ふだんの生活ではその記憶が表には出てこないが、たまに書店などで「ふと魔が差していまった」りするのだと考えれば筋が通る。おのれ、ホロめ!
でも、さすがに『狼と金の麦穂』をもう1冊買うほどの魔が差すことはないと思う。
閑話休題
この本には書き下ろし短篇小説が収録されているということだったので、どうせ後で文庫に収録されるだろうと高をくくっていたのだが、いざ本を開いてみると、あらびっくり。これは小説というより絵物語ではないですか。これはちょっと短篇集に収録しづらいかもしれない。
狼と香辛料』本篇はロレンスの視点で語られる。三人称単一視点だ。長期シリーズ化したライトノベルで、視点を固定して三人称を貫き通している例は珍しいのではないか。誰か、叙述スタイル上の特徴をもとに『狼と香辛料』の独自性を論じてもらいたいと思う*4。本篇のほか『狼と香辛料』には番外篇がいくつかあり、みなタイトルに色名が入っている*5。それらの番外篇はロレンス視点のこともあれば他の人物の視点で語られることもある。「狼と金の麦穂」も「金」を色名と考えれば、一連の番外篇のひとつとして位置づけることが可能だ。
だが、「狼と金の麦穂」には、どうやらそれ以上の意味があるような気がする。
この小説の舞台は、どこかの村の麦畑。そこにはロレンスはいない。ただホロだけが登場し、その視点で淡々と麦の収穫や村人たちの宴の情景が語られる。ホロ視点の番外篇は先に「狼と琥珀色の憂鬱」*6があるが、それと同様に、いわゆる「無人称」という手法*7が用いられているので、同じ系統の挿話だと考えることもできるが、「狼と琥珀色の憂鬱」が単にホロの名や代名詞を地の文で書いていないだけであるのに対して、「狼と金の麦穂」の無人称には他者と向き合う自我の稀薄さを表すという意味合いがあるように思われる。「狼と金の麦穂」にもホロ以外の人物が登場し若干の交渉もあるので、純然たる孤独なモノローグだというわけではないのだが、「ホロ」として、「わっち」として、あるいは「彼女」としてでも何でもいいのだが、ともかくホロ自身を指し示す語を欠いているために、ホロが物語世界をふわふわと漂っているかのような雰囲気が醸し出されている。
実際にはホロは麦畑の中にいるのだが、そこは黄金の池に喩えられているため、ホロのいる場所は「池の中」とか「池の底」などと描写されている。上で述べた無人称の効果と相まって、たとえばジョン・エヴァレット・ミレイの「オフィーリア」のような情景を連想してしまう。文倉十のイラストは明朗で生命力に満ちており、そのような連想が場違いなことは間違いないのだが、しかし文章の力はしばしばイラストを超えた情景惹起力をもつものだ。
ホロは文字通り「草葉の陰から」人々の営みを見守っているのだ。
イラストに言及したついでに、ひとつ気がついたことを書いておこう。
麦畑の中のホロは狼の姿をとっている。人の姿に化けて外に出ることもあるようだが、畑の中ではその必要もないから元の姿に戻っているのは当然のことだ。また、「毛皮」「髭」などの言葉からも、ホロが狼の姿でいることが読み取れる。しかし、イラストではホロは人の姿で描かれていることが多い。狼の姿で描かれているのはわずか2箇所に過ぎない。ということは、ホロの姿を描いたイラストのほとんどが、厳密にいえば文章で述べられている状況と食い違っている*8ということになる。ただし、この食い違いは単純ミスではなく、演出上の効果だろう。そう、『狼と金の麦穂』のホロは擬人化されて描かれているのだ。これまで、そのような視点で『狼と香辛料』のイラストを見たことはないので断言はできないのだが、本篇や他の番外篇では、ホロを擬人化したイラストはなかったように思う。
さて、「狼と金の麦穂」には一連の番外篇とは異なる、それ以上の意味があるのではないかという思いつきを先ほど書いたが、その理由を説明しよう。
上では『狼と香辛料』本篇はロレンスの視点で貫かれている、と書いたが、これは正確な言い方ではない。というのは1巻冒頭の「序幕」がロレンス視点ではないからだ*9。『狼と香辛料』のはじまりはホロ視点で、しかも無人称なのだ。「狼と金の麦穂」はこの「序幕」と対になっているのではないだろうか? すなわち、これは独立した番外篇ではなく、本篇の一部、より具体的にいえば本篇の最終章にあたる箇所ではないかと考えられるのだ。
もっとも、この仮説には決め手となる根拠が欠けている。あちこちの感想文を読むと、ほとんどの人が「狼と金の麦穂」を本篇の後の話だと考えていることがわかるが、中にはロレンスと出会う前の話だと解釈している人もいる。実際、作中の記述からはそう読めないこともない。ヨーロッパ農耕史に通じた人なら、「狼と金の麦穂」に独特な形状の鎌が出てくることや、ホロのいる村では二期作が行われているらしいことなどから、何らかの推理を働かせることができるかもしれないが、残念ながら、それらの記述がどういう意味を持つのかを突き止めることはできなかった。
従って、「狼と金の麦穂」が『狼と香辛料』の最終章の先取りであるという仮説は思いつきの域を出ない。単なる思いつきでいいのなら、ほかの考え方を示すことも可能だ。たとえば、「狼と金の麦穂」に登場する狼はホロではないと考えても矛盾は生じない。その場合、イラストは単なる擬人化ではなく擬ホロ化ということになるだろう。もしその思いつきが正しければ、「狼と金の麦穂」は『狼と香辛料』の一挿話ですらなく、人の姿に化けることができる狼という設定だけを共有する、全く別の物語だと考えることもできる。
ところで、『狼と香辛料』とは別の物語といえば、すぱイしー ているずの今日の記事に興味深い記述がある。

それと、ぼちぼち進めてきていた別仕事がいよいよ形になりかけていてがくがくぶるぶるどきどきわくわく。

タイトルを決めてくださいと言われて、そろそろ引き返せないところまできた感じ。

これはもしかすると、新シリーズ開始か? どきどきわくわく。
……実は「学園ホロたん」の続篇だった、というような話なら頭を抱えるしかないが。
いや、ほんと、『狼と香辛料』はもうゴールしてもいいよね、と思っているので。
ええと、大いに脱線してしまったが、強引にまとめてしまおう。「狼と金の麦穂」はいろいろと深読みできて楽しめる作品でした。3200円+税の価値があったか、と聞かれれば、もちろん全力で「ない」と断言する*10が、まあDVDと併せてこの値段なんだから、さほど高くはないと言えるかも。

*1:以下、このタイトルを鉤括弧で括った場合は小説のタイトルとして、二重括弧で括った場合は本のタイトルとして言及しているものと解されたい。

*2:今のところ9巻まで。10巻と11巻はまだ1冊ずつしか買っていない。

*3:ただし、初刊本に限る。単行本が文庫化したときには1冊だけ買って保管用にしている。

*4:「じゃあ、お前がやれよ」と言われるかもしれないが、ライトノベルをさほど読み込んでいるわけでもなく、有名作をいくつも読み落としている現状では、とてもとても……。

*5:タイトルに色名が入っていない「学園ホロたん」という例外があるが、これは番外篇というよりセルフパロディというべき作品なので除外して考える。

*6:狼と香辛料 VII Side Colors』に収録されている。

*7:視点人物の人称代名詞を書かないことにより、一人称なのか三人称なのかをぼかす手法。日本語は主語を省略することができるので、このような芸当が可能となる。うまく書ければ、独特のリズム感のある文章になる。

*8:ただし、最後から2枚目のイラストは、ホロが旅していたときの回想シーンだから、これは人の姿で問題ない。

*9:と書いたあとで対立の町<下>の「幕間」もロレンス視点ではないことを思い出したが、それを持ち出すと話がややこしくなるので無視する。

*10:でも、この感想文を書くネタになったのだから、ある意味では元を取ったということになる。