「森の死」とモラルの崩壊の間に因果関係はあるのだろうか?

みなさん、日本の国土の素晴らしいところはどういうところでしょうか?  豊富できれいな水、豊かな自然と農作物、豊かな魚介類、温暖な気候 そしてそういう土地だからこその温厚で真面目でモラルが高い日本人です。 これらは、森が生きているからこそ享受できるものです。 今、森が半分が死んでしまい青息吐息の日本列島で何が起きているか、土砂災害、花粉症、アレルギー、ヒステリックな人達、愛情をうまく使えない人達、モラルの崩壊、全てが森の死によって起きているとは言いませんが、森の死が相応の影響を与えていると思いませんか?

ふだんの生活の中で外国の人とあまり係わり合いを持たないので、日本人が特に温厚で真面目でモラルが高いのかどうか知らないのだけど、仮にそうだとしても、そのような国民性が日本の風土に起因するのかどうかはわからないし、仮にそうだとしても、日本の風土に異変が生じたからといって国民性がそう簡単に変わるものがどうかについては何とも言えないので、結局のところここで列挙されている事柄のうち、ある程度の蓋然性を持って「森の死」が相応の影響を与えていると言えるのは土砂災害くらいじゃないかなぁと思ったのだけど、これは「森の死」を杉植林地の管理が行き届かないせいで極相林化してしまっている状態のことだと解釈した場合の話で、それ以前に杉植林地を増やしすぎたこと自体が「森の死」なのだとすれば、土砂災害に加えて花粉症に「森の死」の影響を見て取ることもでき、そうすると花粉症というのはアレルギーの一種なのだから、アレルギーに「森の死」が影響しているとも言えるのかもしれないけれど、仮にそうだとしても、やっぱりヒステリックな人達、愛情をうまく使えない人達、モラルの崩壊などをここで持ち出すのはかなり法外なことなんではないかと思ってしまうわけで、「森の死」の重大さを多くの人々に訴えたいのだろうと忖度はできるけれども全く同意も共感もできなくなってしまっていて、もうちょっとましな書き方はできなかったものだろうかとお節介なことを考えてみたのだが、たとえば生物多様性の劣化というような論点を持ち出したところで一般の人にはとっつきにくいだろうし、少し前に流行した「限界集落」などというキーワードを持ち出したとしても、単純に「森の死」の影響で「限界集落」問題が生じたというようなわかりやすい話にはならないので、いずれにせよもともとそれなりにこの問題系に関心を持っている人相手でないと話が通じにくいという難点があり、それじゃあ、一般の人にもわかりやすいモラルの崩壊云々に話を結びつけるのは仕方がないことかといえば、やっぱりそういう科学的根拠に乏しい煽りはよくないなぁと思いつつ、できれば関心のない人にはスルーしてもらいたくてわざと読みにくい文章を書いてみました。