昭和は遠くなりにけり
- 作者: 綾辻行人
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/01/06
- メディア: 新書
- 購入: 3人 クリック: 414回
- この商品を含むブログ (114件) を見る
久しぶりの「館シリーズ」だ。前作は、ええと……。
- 作者: 綾辻行人
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/03/17
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 15回
- この商品を含むブログ (163件) を見る
2006年だと既にこの日記を始めていたので、感想文を書いていただろうかと思って探してみたが、見つからなかった。代わりに見つけたのは自己言及的読書感想文 - 一本足の蛸という文章。いや、文章ですらなくて、他人の感想文を全文引用して、それに見出しをつけただけのものだ。
あの頃は若かったなぁ、と遠い目になってしまった。
まあ、『びっくり館の殺人』はともかく、「館シリーズ」のその前の作品はなんだったろうか?
- 作者: 綾辻行人
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2004/09/10
- メディア: 新書
- 購入: 1人 クリック: 95回
- この商品を含むブログ (223件) を見る
- 作者: 綾辻行人
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2004/09/10
- メディア: 新書
- 購入: 1人 クリック: 5回
- この商品を含むブログ (201件) を見る
『奇面館の殺人』は『暗黒館の殺人』に比べればずいぶんと短い。なんと800枚強しかないのだ。それでも初期作品に比べれば長い。あとがきによれば「四〇〇枚くらいのコンパクトな長編本格を」という構想だったそうだが、もしそれが実現していれば、より面白く読むことができただろう。
謎解きの興味を主眼としたミステリは伏線が命だが、小説が長くなればなるほど、作者にとっては伏線が張りやすくなる一方、読者にとっては伏線を見落とさないように気を張って読み続けることが難しくなる。特にとしをとってくると緊張感が持続せず、気がゆるんでしまう。考えてみれば『十角館の殺人』から四半世紀のときが流れているのだから、そりゃ読者だってとしをとる。
そういうわけで、『奇面館の殺人』を読むのにあしかけ6日かかった。実読書時間は5時間程度だと思うが、長時間連続して読めないので、休み休み読んだせいだ。それでも最初のほうは気をつけて読んでいたのだけど、だんだん読み方がぞんざいになり、最後のほうで伏線が回収されていっても「ああ、そういやそんなこと書いてあったっけ」と思った程度だった。
そんないい加減な読み方をしていても、メインの大仕掛けには気がついた。ちょうど100ページめで。より正確にいえば、100ページ上段11行目で。別に自分の勘のよさを自慢しているのではない。ある程度の経験値があれば、誰でもかなり早い段階で仕掛けに気づくのではないだろうかとさえ思う。もちろん、これは作者と読者の間の知的ゲームに読者が勝利するということを意味しない。なんとなくひらめくだけではなくて、適切な手がかりをもとに論証できなければならないからだ。
いや、「作者と読者の間の知的ゲーム」というミステリ観じたいがもはや過去の遺物なのだろう。昭和は遠くなった。いわゆる「新本格推理」が往年のクラシックパズラーが現代的な装いで復活を遂げたものだという幻想はとうの昔に潰えた。というか、「館シリーズ」でさえ、もはや「新本格推理」という看板を掲げてはいない。辰巳四郎も宇山日出臣も鬼籍に入って久しい。あなたは「館シリーズ」の登場人物のひとりが「島田潔」という名前だということを今でも覚えているだろうか?
……どさくさ紛れに変なことを書いてしまった。核心には触れないつもりだったが、やや危険領域に近づいてしまったようだ。以下「続きを読む」記法で。
『奇面館の殺人』を読み始めた初日にTitterで次のようにつぶやいた。
最初からこんな読み方をしていたのは経験値のなせる業だが、今から振り返ってみれば、これはかなり不用意なつぶやきだった。たまたま目に入って、仕掛けに気づいてしまった人がいたらごめんなさい。
『奇面館の殺人』を最後まで読むと414ページ上段にこの仕掛けを自画自讃しているようにも読める箇所がある。これは作者の稚気のあらわれで、別に悪いことではないのだけど、「でも、解決篇まで引っ張るほどのネタじゃないよなぁ」というのが正直な気持ちだ。最初から明かしてしまってもよかったのでは……と一瞬思ったが、それだと鮎川哲也の某長篇だ。まあ、事件が発生して、鹿谷門実が探索と推理を開始したあたりで明かすくらいでよかったように思う。いや、それだと「館シリーズ」らしくないかもしれないけれど。
久しぶりにミステリの感想文を書いたらまとまりがつかなくなった。昔はこうではなかったのだが……というのも老人の繰言。贅言はこれくらいにしておこう。