日経・鉄道記事の不思議 なぜ自分で調べないのか

まず梅田にある阪急電鉄本社を訪ねた。妙な疑問を携えた記者に嫌な顔もせず、広報部の小林達彦さんは「もともと京都線の線路は十三駅までだったものを、1959年に梅田駅まで延伸しました」と説明。中津駅は乗降客数が少なく、用地も限られていたために新しい京都線には同駅を設けなかったという。

【略】

「実は阪急京都線の大半は京阪電鉄が作ったものなんです」(小林さん)。阪急と京阪は大阪と京都を結ぶ競合相手。ライバル会社が線路を作るとはどういう訳か。詳しい経緯を京阪に尋ねなければならない。

「当時のことが分かる者はもう居ませんが」。京阪電鉄経営統括室の塩山等さんが苦笑いするのも無理はない。一緒に社史などの資料とにらめっこしながら歴史を遡った。

indigoworks 鉄道

阪急ヲタには常識。次は京王線は幡ヶ谷・初台が新線にしかない謎を解明してあげるといいんじゃないかな 2012/04/28

loa_loa

いや、普通にWikipediaに書いてあるから・・・ 2012/04/29

>yukkie_strike 鉄道, 歴史

本当に本社まで行ってこんな感じで調べたのだとしたら、ちょっと面白い絵だ。。。本当はきっちり下調べしてるだろうけど。/ 鉄道趣味の人間からすると「こうやって記事は作られるのか」と(ある意味)勉強になる。 2012/04/29

Wikipediaの記事には間違いや誇張も多いため、それをそのまま引き写して新聞記事にしたら記者失格だろう。とはいえ調べ物の役には立つ。ネットでざっと下調べをしてあたりをつけたら、当時の新聞記事を繰ってみればだいたいのことがわかるだろう。それでも足りないのなら図書館へ行けばいい。常識的に考えて、阪急や京阪の現役社員に取材しても当時のことを実体験として知っているわけはないのだから、結局、確かなことは史料を繙かなければわからない。
阪急中津駅の謎とか、京都線が昔京阪だったとか、そういう話題にどの程度需要があるのかはわからないが、ブクマコメントでも「へぇ」と感心している人が何人もいるのだから、それなりに意味のある記事なのだろうとは思う。ただ、この取材の仕方には疑問を感じてしまった。大手新聞社ならではの、一種の尊大さを感じてしまったのだ。