自然薯と猪

先ほど「自家栽培の自然薯」を売りにしている料理店で昼食をとった。
自然薯は長芋に似ており、どちらも「やまいも」と呼ぶことがあるが別の種だ。長芋は鳥取砂丘などで栽培されているが、自然薯は長芋とは粘りが全然違う。
自然薯はもともと山に自生しているもので、うまく掘るのに大変手間がかかる。子供の頃、近所に自然薯掘りの名人がいて、年に何度か分けてもらったことがある。名人は芋掘りの道具を持たず、山で適当に拾った棒きれを使って、芋のまわりを根気よく半日ほどかけて掘るのだという。道具を使わないから途中で間違って折ってしまうことはない。自然薯の葉は特徴があり、他の蔓草と見間違えることはまずないし、山に入れば見つけるのはさほど難しくはなかった。だが、耕した畑とは異なり山の土は固く、子供心に、とても真似ができないと思ったものだ。
そのような経験があるものだから、「自家栽培の自然薯」という表現には強い違和感がある。いや、自然薯は「自然のいも(薯)」だから自然薯というのでしょう、とツッコミを入れたくなる。自然薯を畑に植えて育てたら、もはや自然薯ではない、と思ってしまうのである。
ウィキペディアの「ヤマノイモ」の項には次のように書かれている。

日本原産、学名は「Dioscorea japonica」であり、粘性が非常に高い。ジネンジョウ(自然生)、ジネンジョ(自然薯)、ヤマイモ(山芋)とも呼ぶ。

【略】

なお、天然のもの(自然生・自然薯)は、掘り出した後の孔が放置されると危険であったり、掘り出す行為そのものが山の斜面の崩壊を助長すること等の理由から、山芋掘りが禁止されている場合が多い。

一つの記事の中に語釈のゆらぎがある。上では「自然生・自然薯」をヤマノイモの別名とみなし、下ではヤマノイモのうち天然のものを「自然生・自然薯」と表している。ヤマノイモの栽培技術が未熟な頃には特に問題はなかったのだろうが、「栽培された自然薯」が市場に出てくるようになった今、やや混乱が生じているように思われる。自然薯には、「手間をかけて山から掘ってくる高価な食材」というイメージがあるので、売る側としては栽培されたものでも「自然薯」と呼びたいのだろうが、買う側としては自生しているものと栽培されたものは名称の上でも区別してほしいと思う。昼食に出た麦とろの風味が、子供の頃に食べた自然薯掘り名人にもらった自然薯から作ったそれと全然違っていたので、区別してほしいという思いがさらに強くなった。いや、別にまずくはなかったんだけどさ、なんていうか、そう野趣がないんですよね。
ところで、今引用したウィキペディアの記事で、「自然薯」の語義と関係ないので先ほど省略した箇所に次のように書かれている。

元来は野生の植物であり、かつては山へ行って掘ってくるものだった。イノシシとの取り合いにもなった。

秋になって地上部が枯れる頃が芋の収穫時期である。枯れ残った蔓を目当てにして山芋を探す。芋を掘るには深い穴を掘らねばならないので、なるべく斜面の所を探す。掘る道具は掘り棒・芋掘り鍬と呼ばれる大人の背丈ほどの鉄の棒で、先端が平らになったようなものを使う。蔓が地面に入り込んだところを特定し、その周辺を深く掘り下げて芋を掘り出す。先端まで掘り出すにはかなりの注意と忍耐が必要になる。うまく掘り出せた場合、蔓の先端に当たる芋の端を残して、穴を埋めるときに一緒に埋めておけば翌年も芋が生育し、再び収穫することができる。

現在ではむかごの状態から畑で栽培されており、流通しているのは栽培ものが多い。収穫しやすいように、長いパイプや波板シートを使って栽培している。

近所に住んでいた自然薯掘り名人が実際に芋掘りする現場を見たことはない。だから、もしかしたらここに書かれているような掘り棒を使っていたのかもしれない。山に落ちている棒きれではさすがに無茶だ。しまった、担がれた!
だが、もうその名人はいない。後継者もいない。山はイノシシに荒らされて、今では自然薯が十分に育つ前にイノシシに先に食べられてしまう。
そのイノシシだが、漢字で書けば「猪」だ。「猪肉」だとイノシシの肉ということになる。しかし、中国語では違っている。単に「猪」と書くと主としてブタを指す。以前、上海新天地で見かけたブタ肉にも「猪肉」と書いてあった。では、「豚」は中国語でどういう意味なのかが気になる。検索してみたが、よくわからなかった。
イノシシのことを中国語で「野猪」と表す。こう書くと日本語には「野猪」という語はないかと思われるかもしれないが、日本語にもある。意味も同じだ。

イノシシはもともと野山に住む野生動物だから、上に「野」がついてもつかなくても同じことなのだったのだろうが、最近ではわざわざ捕獲したイノシシを肉用に飼育する例もある。飼育が何世代にも及んだ場合にはブタになるのかもしれないが、数世代程度ではイノシシのままだ。しかし、飼育されたイノシシのことを「野猪」と呼ぶことは、日本では決してない。漢字ではただ一文字「猪」だ。
中国語では、飼育された(野生でない)イノシシとブタをどうやって区別するのだろうか? あるいは、イノシシとブタを交配したイノブタのことを何と呼ぶのだろう? さらに、野生化したノブタのことを……というような疑問がむくむくと沸いてきた。まあ、そんな微妙な区別は別に一語で区別できなくてもかまわないので、適当に言葉を加えて表現するのだろう。
今回もオチなし。