統計末法の世を生きる(後篇)

統計末法の世を生きる(前篇) - 一本足の蛸の続きです。
前篇では「統計末法」という語の説明をしていなかった。この語は、2005年国勢調査で調査員が調査票を燃やすという事件があったのをきっかけに思いついたものだから、もう10年近く前のことだ。厳密な定義があるわけではなく、もちろん学術用語としてオーソライズされているわけではない。たぶんほかに使っている人はいないと思う。
どこかで聞きかじった話で出展が定かではないため真偽は不明だが、こんな話がある。1945年に日本にやってきたマッカーサーが日本側にまず要求したものが消費者物価指数だったという。「ありません」「何? 出せぬと申すかっ!」「いえ、日本では消費者物価指数を作成していないのです」「な、な、何と! 皆の者、直ちに調査を行うのじゃ」というような会話があったかどうかはわからないが、敗戦後の混乱の中で日本の統計機構は急速に整備されていった。この時期が統計正法の時代だと言えるだろう。
やがて日本は混乱から抜け出し目覚ましい経済成長を遂げるようになってきた。それにつれて各種の統計が新たに作られるようになり、見た目には統計全盛の時期を迎えることになった。しかし、統計調査の意義や重要性についての認識は徐々に薄らいでいき、統計は「あるのがあたりまえのもの」「なんとなくできあがるもの」というように捉えられることになった。これが統計像法の時代だ。
そして2005年頃から*1日本はいよいよ統計末法の時代に突入することになった。世間ては「ビッグデータ」が取り沙汰されているが、その一方で基礎的な統計データの確実性がどんどんぐらついている。この動きは加速することはあっても、ブレーキがかかることは期待できない。1980年代のイギリスのように目も当てられないくらいに誤差が大きくなる*2まで、このまま統計は崩れていく一方だろう。
……というような独断と偏見丸出しの私見垂れ流しはこのくらいにしておこう。
前篇で紹介した市区町村別年齢不詳率のデータをみると、大阪市西区の数値が極めて不思議な動きを示している。2005年には14.3%に達していた年齢不詳率が2010年には0.0%に低下しているのだ。
そこで、2000年国勢調査のデータも加えて、全国と大阪市の他の区のデータをあわせて表にまとめてみた。

大阪市の年齢不詳人口及び年齢不詳率の推移(2000-2010)


ここから2005年に特に年齢不詳率が高かった4つの区のデータを抜き出したものが次のグラフだ。

大阪市西区浪速区生野区および北区の年齢不詳人口の推移(2000-2010)


これはいったいどういうことだろう?
個人情報保護意識の高まりやライフスタイルの変化などにより、主として大都市の統計環境が悪化しているのは言うまでもない。だが、2010年国勢調査における東京都杉並区のうに突出して年齢不詳率が高い地域があるのは、そのような一般論だけでは説明が難しい。役所側の予算・人員などの体制にも問題があると考えるのが自然だろう。そう考えると、2005年にはワーストランキングに入っていた練馬区豊島区目黒区が2010年には大きく改善しているのは自然なことだと思われる。おそらく杉並区も2015年国勢調査ではもうちょっとましになるのではないだろうか。
だが、大阪市西区の状況は状況改善の度合いが極端ではないか。2005年には1万人を超えていた年齢不詳人口が2010年にはわずか12人とは! 2000年と比較しても1/10以下になっているのはかなり不思議なことだ。
ここには何かとてつもなく深い闇があるのではないか。
これ以上のことはわからないので、後はご想像にお任せします。

*1:というのは個人の感想です。既に1976年にわが国の統計制度をめぐる諸問題【PDF】という論文が書かれている。

*2:イギリスの惨状とその後の展開については戦後イギリスの統計機構の展開【PDF】や第6 回委員会において外国制度に関してご指摘いただいた事項について【PDF】(統計制度改革検討委員会会議結果 第7回会議 配布資料)などを参照されたい。