困った地方論の例

麗しき山河や田園の息を呑むような大自然や、立派な瓦屋根の伝統的な集落の家並み、そこにしかない郷土の文化などは、県庁所在地級の都市では昭和の時代に終わっている。県庁所在地在住者は大半が多摩ニュータウン劣化コピーのような分譲住宅に住んでいて、下手をすればマンションやアパート住まいだったりする。彼らは県内の他所の地域から出てきた人か、東京から左遷された人だから土地に根差しているわけでもなく、むしろ不満感を抱いている。映るテレビ局が少ない以外に東京と何も変わりはないが、首都圏に比べると圧倒的に不便なのであるから当然だろう。

その点、県庁所在地に満たない地方都市はいまも風景を保っていて、先祖代々暮らす人たちが大切にしている「土地固有性」がある。これまでは吉幾三の歌のような不便の象徴だったが、いまどきは郡部ですらチェーン店が何でもそろっている。セリアもユニクロもツルハもあり、イオンタウンイオンスーパーセンターがあり、町によっては県庁所在地と何も変わらないイオンモールだってある。高望みさえしなければ東京都民とほぼ同じ消費文化があるのだ。

いやはや、これは困った。
まず「麗しき山河や田園の息を呑むような大自然」というのがよくわからない。昭和以前の県庁所在地には「麗しき山河」があったというのだろうか? また田園のどこが大自然なのだろう? この人は原生自然と二次的自然の違いを理解しているのだろうか?
さらによくわからないのが「県庁所在地在住者は大半が多摩ニュータウン劣化コピーのような分譲住宅に住んでいて」という箇所だ。「大半」というからには、少なくとも50パーセントは超えているのだろうが、そんな統計があるのだろうか? また「彼らは県内の他所の地域から出てきた人か、東京から左遷された人だ」と書いているが、これもどのような統計的裏付けがあるのかが不明だ。
たぶんそんなものはないだろう。東京から県庁所在地へ移住した人の統計は探せば見つかるだろうが、東京から左遷された人の数など誰が調べているというのか。
「県庁所在地(級)/県庁所在地に満たない地方都市」という対比は興味深いのだが、県庁所在地に満たない地方都市にあるとされる「土地固有性」なるものの具体例が挙げられていないので、言葉だけが上滑りしている。
さらに言うなら「高望みさえしなければ東京都民とほぼ同じ消費文化」とはどういうことだろう? 東京都民と同様の消費文化を求めると「高望み」になるということなら、「ほぼ同じ」とは言えないだろう。そもそも、セリアやユニクロやツルハは県庁所在地にはないものなのか?
困った世代論の例 - 一本足の蛸でも引用した橋下大阪市長の名言「民族とか国籍を一括りにして評価をするような、そういう発言はやめろ」を捩って「県庁所在地とか地方都市を一括りにして評価をするような、そういう発言はやめろ」と言いたくなった。

追記(2014/11/09)

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