虚構の殺人

回答を見ると、みんなまじめに殺人の是非という観点から答えようとしているが、別のレベルで論じることもできる。
現実世界とフィクションの世界は互いに独立であり、因果的交渉を持たない。従って、現実世界の人間がフィクションの世界で殺人を行うことは不可能である。「現実世界の人間がフィクション世界の人間を死なせる」という言い回しは比喩的なものに過ぎない。フィクション世界の人間は当該世界内の事情により死に至らしめられるのであり、現実世界の人間は、その事態を選択して記述するだけである。従って、「なぜ?」という問いは言語的混乱に基づくものである。
もちろん、出題者がそのことに気づいていなかったはずはない。

この見出しがすべてを示している。
なお、上の議論がわかりにくいと感じた人のために、どうしようもなく馬鹿馬鹿しい質問をいくつか挙げておこう。

  1. 日本に台風が来れば浸水が発生し、アメリカにハリケーンが来ても同様なのに、どうしてアメリカにハリケーンが来たときに日本で浸水が起こらないのでしょう?
  2. 江戸時代には征夷大将軍が江戸にいて、現在は総理大臣が東京にいるのに、どうして江戸時代の将軍が現在の東京にいないのでしょう?
  3. 盛岡冷麺は盛岡で生まれたから「盛岡冷麺」と呼ばれ、もし山形生まれなら「山形冷麺」と呼ばれたでしょうが、どうして現実には盛岡生まれの冷麺のことを「山形冷麺」と呼ばないのでしょう?

1は空間、2は時間、3は様相に関する混同による愚問。