金魚の寝床

『金魚の寝床』について知られていることは現在あまりにも少ない。
昭和18年、詩人佐藤義清(1923-1943)の遺品から発見された日記に書き留められていた『金魚の寝床』は、わずか672文字(句読点、特殊記号込み)の小品でありながら、関係者の間で「史上最高の抒情詩」と呼ばれることになった。しかし、佐藤義清の全集に収録されることなく、その後数年のうちに散逸してしまい、今では伝説のみ残る幻の作品となっている。
このたび、関係者の一人である千葉風太氏のインタビューを行い、この幻の抒情詩『金魚の寝床』について語っていただいた。
――千葉先生は『金魚の寝床』の生原稿を読まれたことがおありだそうですが。

千葉風太(以下「千」)
なに、ありゃ原稿なんてもんじゃないがね。日記帳の片隅にちびた鉛筆でちょこちょこと書き付けたメモみたいなもんだわさ。

――では、『金魚の寝床』は世評高い傑作ではない、と?

誰もそんなこと言っておらんがに。ありゃ、儂の見るかぎり古今東西どんな情感豊かな詩にも優る抒情詩だったのう。

――どんな詩だったのでしょうか?

へっへ、ききたいかね(意味ありげな苦笑い)。ありゃ官能詩、もっと平たく言や、エロ詩だったに。もう何てっか一行読むだけでちんこおったち、二行読んだら先走り、三行読めばしんぼたまらんようになって猿股汚しちまう、そんな詩じゃった。

――す、凄いですね。

男だけじゃないでよ。おなごだって煽られるの何のって。その頃、儂の姪っ子のチィチィちゃんはまだおぼこだったんじゃが、『金魚の寝床』を朗読させたら、ぶるぶる声を震わせよってな、ありゃめんこかったのぅ。で、検査じゃと言うて着物の裾を捲らせたら、案の定まんこびしょびしょになっとった。そんときゃ、儂も若かったでの、思わず(以下千葉氏の思い出話が続くが、本題に無縁であるため、編者の責任において割愛した)。そんとき、チィチィちゃんはまだ13歳だったのぅ。

――ははは。

まあ、そういったわけでの、「こりゃあ時節柄公表するのはまずいのぅ」ちう話になって、『金魚の寝床』はお蔵入りになったんだわさ。ちうてもたかだか700文字足らずやし、儂らの仲間うちには物覚えのええ奴もぎょうさんおるき、口伝えでどんどん広まりよった。そんで、特高やら思想検事やらが乗り出しよって、『金魚の寝床』を読んだことある奴ぁ片っ端から監獄へぶち込まれよった。ありゃあ、戦時中とはいえ、むごいことじゃったのぅ。

――それで、戦後はいかがでしたか。

戦後も似たり寄ったりじゃに。そりゃあ、有無を言わさず引っ立てるなんてこたぁなくなってけんど、これからどんどん復興してアカと戦わにゃならんちぅときに、こんな詩を世間に広めるわけにいかんだわさ。そいでまた、第4インターだか第5インターだか知らんが、アカの奴らが「これは使えるぞ」と言うて乗り出してきよったんで、進駐軍のお偉方も苦労しよったちう話だの。まあ、アカじゃろうがシロだろうが、『金魚の寝床』読んだら足腰立たんようになるっき、ブルの支配さ打ち破ってプロの社会作るっちう目論見は外れたけんどな。

――プロって何の専門家のことですか?

はは、あんたが言っとるのは「プロフェッショナル」のことじゃろうが。儂が言うたのは「プロレタリアート」のことじゃき。お若いの、あんた「DS」って何のことが知っとるか?(以下、千葉氏の趣味の話が延々と続くが、割愛)

――では、そんなに凄い『金魚の寝床』がどうして現在まで伝わっていないのでしょうか?

なに、お国に智恵者がいたってことよ。きゃつらは考えたんさ。『金魚の寝床』を闇に葬ろうったて、男も女もエロが好きじゃけ、どないしても広まるわさ。そいで、『金魚の寝床』読んでもちんこおっきおっきせんように、まんこぴちゃぴちゃ弾まんようにする手だてはないもんか、てな。

――なるほど。で、どうしたんですか?

ほれ、『金魚の寝床』は史上最高の抒情詩じゃと言うたろうが。役人どもは抒情詩に目をつけたんじゃ。きゃつらはある日突然、「抒」の字を使えんようにしおった。でもって、抒情詩は内容と関係なしに、叙情詩になってしもうたんじゃ。こうなりゃ、もう叙事詩と違わんで。官能も煽情も(おお、そういや、煽情も扇情になってしもうたな。おうぎのなさけ、て何のことかいな)みんな消しとんじまっての、後には672の文字列しか残らんかった。そうなりゃ、もうわざわざそらで覚えて人に教えよか、ちうもんものうなるわな。儂は今でも役人のやり口が気に入らんのじゃが、これも時代の流れ、仕方ないわさ。