失恋でもしてみたら

昼前の授業中に鈴木キヨシがシャーペンを上唇と鼻の間に挟んで眉根に皺を寄せながら、「あー、かったりぃ。なんか面白いことないかなぁ」といつものようにぼやいていると、隣の席の山田マリコがこう言った。
「じゃあ、失恋でもしてみれば?」
「失恋?」
キヨシは思わず問い返す。
「そ、失恋。不確かな不安が確かな絶望に姿を変えて、もう忘れよう忘れようと思いつつも、彼女を想う気持ちは振り捨てられず、夜ごと枕を涙で濡らし、夢にみるのは恋いこがれたあの姿。月日が流れても決して記憶は薄れることなく、ほろ苦い思い出はいつもでも残る。どう? ドラマティックでいいんじゃない?」
「なんだよ、その芝居がかった台詞は」
だが、キヨシは内心まんざらでもないと思っていた。マリコの奴、ぱっとしない見かけに似合わずなかなか冴えてやがる。終業のチャイムがなる頃には失恋のことでキヨシの頭の中はいっぱいになっていた。
昼休み、キヨシはマリコに相談した。
「隣のクラスの白百合紫織さんなんかいいと思うんだけど、どうだろう?」
「いいんじゃない? 南高きっての美少女で才媛、そのうえ箱入りのお嬢様だから、どうあがいたってあんたの手の届く相手じゃないしね」
「へぇ、そんなに有名だったんだ」
「何? あんた白百合さんのこと知らなかったの?」
「うん、何となく名前が少女マンガチックでいいかな、って」
すると、マリコはずり落ちかけた眼鏡を左手の人差し指で押さえながら、「ふぅ」と深い溜息をついた。これは幼稚園以来のマリコの癖で、キヨシは長年の経験から彼女の微妙な身振りに籠められたメッセージを読み解く術を心得ている。今日は「前途多難」だな。
だが、キヨシは怯まず行動に出た。男には負け戦とわかっていても闘わなければならない時があるのだ。こうと決めたらキヨシの意志は固かった。美しく儚い思い出づくりのため、何としてでもこの失恋を成就させるのだっ!
ストーカーまがいの行為で紫織に徹底的に嫌われるのなら簡単だ。でも、それでは美しくない。キヨシの想いにほだされ、逡巡しながら断るのでなければならない。そのために、キヨシは紫織の趣味から休日の行動パターンまで調べ上げ、準備を整えた。
「いよいよ、明日決行だ」とキヨシが玉砕の覚悟を述べたのは、マリコが最初に失恋を提案してから二週間後のことだった。既にキヨシの振る舞いは衆目に晒されており、紫織もそろそろ気づいている頃だ。今がチャンスだ、とキヨシは判断した。
「へえー、そうなんだ。せいぜい頑張ってよねー」
マリコは気のなさそうな口調で励ましの台詞を棒読みした。
「うむ、赤西蠣太の二の舞にならないように気をつけることにしよう」
「アカニシ……誰?」
「いや、知らなきゃいいんだ」
というような会話が交わされた翌日、キヨシは紫織に告白し、その41秒後に失恋した。
放課後、校舎の屋上で二人は風に当たりながら、ぼんやりと雲を眺めていた。
「本気だったんだ……」
マリコは軽く頷く。
「本気の本気だったんだ……」
彼女は再度頷いた。
「うん。キヨシが本気なのはわかってた。だって、ずつと見ていたんだから」
少し間があいてから、キヨシは「おれ、本気の本気の本気だったんだ」と言葉を絞り出し、そして、泣いた。