リスクとデンジャー

NaokiTakahashiの日記 - 例のマンションの話。と、それを受けたコメント欄のやりとりが非常に面白い。用語法の議論と実質的な政策に関する議論が同時並行で行われていて、下手すれば話が混乱して収拾がつかなくなるところだが、今のところそのような事態には陥っていない。
で、この問題について少し考えてみたのだが、うまくまとまらない。


で、用語法云々もそうだけど、俺は根本的に、「今回の一件は資本主義社会の市民が負うべきリスクであり、被害者は賭けの敗者、冒険の失敗者であり、国家が補償してやる必要はない」という考え方が嫌なんですね。
今回の事件は自己決定論(または自己責任論)の限界を示すものだと思うので、基本的にはこの見解に同意したいのだが、何か落とし穴があるような気もするのだ。日本は法治国家だから、国家が行うべき施策の骨格は法律で定めておかなくてはならないが、そのあたりの調整はどうなっているのだろうか?