軍拡競走

ニセ科学批判界隈が気持ち悪い - ならなしとり経由で専門家と素人のあいだに - とらねこ日誌経由で福岡伸一の幻想を破壊してみた - ならなしとりを読んだ。

これは蝶と食草の関係についてもあてはまります。植物側は葉を食べられたら生きていけないので葉に毒物を持って葉を食べるやつらを排除しようとします。それに対し食べる側の蝶もその毒物を解毒するような酵素を進化させて対応します。そして植物もさらに防御を多様化、強化して、それに応じて蝶も対抗していって・・・という流れになります。これを「軍拡競争」といいます。この結果、蝶は自分の食草しか食べられないスペシャリストになりました。

この記事は確か書かれた頃に一度読んだ記憶があるのだが、「軍拡競争」という言葉に特に注意を払わなかった。軍事用語を用いたアナロジーとして読んで特に違和感がなかったからだ。

この梨さんによる素晴らしい反論も、赤字で示した部分に見られる非専門家のどらねこが見ても理解しやすい表現には、植物や生物が意志を持って進化したかのような、目的的なニュアンスを抱きかねない表現にも見えるのだ。

知るかよ。これくらい初歩的な専門用語だググれ。
いまにして思えば、なんでこんなものに頷いていたのかわからない。
僕としては事実関係の指摘ならまぁ受け入れるのだけど、教科書レベルの内容にまで文句つけられたら出る幕無いや。一粒で何もかも摂取できるサプリメントを求められているようなものと書けば伝わるのかね。僕としてはたびたび言ってるけど、学ぶのに投資もしないのにわかりやすくしろなんていう人の要求には応えられないです。無償でそれをやれとかモンスター読者だよ。

今引用した文章の最初の段落は専門家と素人のあいだに - とらねこ日誌からの引用で、それに対して2番め以降の段落でコメントをつけるという体裁になっている*1。そこで「初歩的な専門用語」と書かれているので、初めて「軍拡競争」が生物学用語であるのだという可能性に思い至り、検索してみた。

そうすると、上から2番めに出てきたのが、進化的軍拡競走 - Wikipediaだった。なお、ウィキペディアの項目名では「争」ではなく「走」という漢字を用いているが、その理由はノート:進化的軍拡競走 - Wikipediaに書かれている。
ちなみに、単に「軍拡競争」で検索すると次のとおり。

いま検索してみたら上から2番めに赤の女王仮説 - Wikipediaが出てくる。ここでも「軍拡競争」が生物学用語でもあることが説明されているが、その後数ページにわたって生物学用語としてではない「軍拡競争」の用例が続いているので、「赤の女王仮説」という言葉を知らない人なら、「軍拡競争」が生物学用語でもあることを見落とすかもしれない。
では「軍拡競走」ならどうか?

こちらはほとんどが生物学用語としての用例ばかりで、たまにおそらく「軍拡競争」の誤変換と思われる例が少し混じっている。
ところで、この例から連想したのが、「到達可能性」という言葉だ。
日常的には、「到達する」という出来事が起こる可能性のことだと理解される。しかし、この用語は様相論理学の可能世界意味論という話題領域では、全く別の意味になる。可能世界意味論は「可能性」「必然性」「偶然性」などの概念を互いに独立に存在する諸世界の関係として分析する。諸世界は互いに独立なのだから、当然、ある世界から別の世界に日常的な意味合いで、「到達する」ということはあり得ないし、「到達可能性」の字面に「可能性」が含まれてはいるけれど、可能性概念が含まれているわけではない。説明されるべき事柄を説明のうちに含んでしまっては何をやっているのかわからない。
だが、初めて可能世界意味論に触れて「到達可能性」という言葉を教わったとき、この言葉が矛盾と循環の両方を孕んでいるのではないかという疑念をなかなか拭い去ることができなかった。その疑念がただの誤解に過ぎないと納得できるまでにはかなりの時間を要したものだ。
……例によって例のごとく変な方向に話が進んでしまった。本当は「専門家が素人に向かって専門知識を語るとき、それぞれがどの程度歩み寄るべきか?」というような話題のほうがウケがいいだろうし、できればそういう議論もしてみたいのだが、まともな意見が提示できるとも思えないので、それはパス。

*1:本題から外れるので註釈で書いておくが、このような引用の仕方は極めて不適切と言わざるを得ない。HTMLには引用タグが用意されているのだから、それを用いてどこからどこまでが引用文なのかを示すのが最善だが、なんらかの事情で引用タグを使えないとしても、鉤括弧を用いるなり「引用開始」「引用終了」などの注意書きを入れるなり、いくらでも方法はある。