ゲオルク・フィリップ・テレマンは『メイドさんロックンロール』の夢を見るか

見出しは仰々しいが内容はたいしたことがない。一文で書ける。
ウィキペディアの「電波ソング」の項を見たらテレマンに言及していたので意表を衝かれた。
以上。
でも、これだけだと素っ気ないので、もう少し続けよう。
テレマンは後期バロック音楽の巨匠の一人だか、一般にどの程度知られているのかは怪しい。中学校の音楽の教科書では、主要作曲家の生没年を記した年表などに出てくるので、それなりに有名だとは思うのだが、同時代のバッハやヘンデルに比べると知名度はかなり劣っているだろう。あまり詳しく紹介をする余裕はないので、ウィキペディアへのリンクでお茶を濁すことにしよう。

肝腎の作品の紹介が貧弱だ。仕方がないので、もう一つリンク。

テレマンが作曲した音楽をTWV番号で整理した作品リスト……だと思うが、どうやらフランス語のサイトらしく、詳しいことはわからない。どこかに日本語の作品リストがないか探してみたのだが、見つからなかった。御存じの方はぜひご教示ください。
さて、電波ソングに話を戻そう。


妄想癖のある人など、精神を患っている異常者等を俗に電波系と呼ぶことに由来する。主にパソコンのアダルトゲームやアニメなどサブカルチャーの文脈で使われる用語である。コミックソングの一種と分類されることもあるが、真正面からの笑いではなく明後日の方向の笑いや引き笑いに属するものも多く、まったく笑いから外れた感性を持つものもある。
アダルトゲームにおける電波ソングの元祖としてはPILより1998年に発売された『MAID iN HEAVEN 〜愛という名の欲望〜』のオープニング主題歌(以下OP)『メイドさんロックンロール』が挙げられるが、この時点では『メイドさんロックンロール』及び、同社のゲームや2001年発売のCDで次々に発表された歌(『メイドさんブルース』、『メイドさんブギー』、『メイドさんパラパラ』、『せいしをかけろ』、『聖コスプレ学園校歌』等)の単発的なブームであった。【略】
クラシック音楽の枠内で「意図的に」クオリティを落として作曲し、観客の失笑を誘う技法はそれほど新しくない。ゲオルク・フィリップ・テレマンは自作の『学校オペラ』の中で「こんなアリアはテレマンでも書けないだろう」とテナーに歌わせ、音程を外す指示をパート内に持ち、別の作品では自分より古い世代の様式を模倣してその作品に『老人達』とつけるなど、既に電波ソングの持つ「既に流行を過ぎた様式を笑う」属性を備えている。
テレマン電波ソングの元祖だとはっきり書かれているわけではない。でも、この記述を額面通り受け取ると、テレマンと『メイドさんロックンロール』の間に何らかの系譜があるように読める。
う〜ん。
『老人達』という曲については何も知らないが、『学校オペラ』というのは、たぶん『学校の先生』のことだろう。児童合唱(生徒)とテノール(先生)の掛け合いが楽しいカンタータ*1だが、さて、これを電波ソングと言ってしまっていいものだろうか。コミカルではあるものの常軌を逸した狂気は感じられないのだが。むしろ、電波ソングのルーツを辿るとすれば、モーツァルト作と伝えられる『俺の尻をなめろ』などのほうが適切なのではないかという気もする。
とはいえ、別にこの項を執筆した人に文句を言いたいわけではない。たまたま『学校の先生』が収録されたCDと『メイドさんロックンロール』が収録されたCDの両方を持っていて、にもかかわらず両者を結びつけて考えたことがなかったので、この記述を読んで蒙が啓かれたような思いがしたからだ。テレマンの音楽が電波ソングに該当するかどうかはさほど重要な問題ではない。重要なのは、そこに電波を見出せるかどうか、だ。

*1:カンタータ」というのも説明を要する言葉かもしれない。不正確だが、いちおう「音楽劇の要素をもった、器楽伴奏を伴う多楽章の声楽作品」と説明しておこう。オペラとは違って身振り手振りは伴わないのがふつうだが、『学校の先生』はクラシック・データ資料館内の主要オペラ・データに掲載されているので、オペラとして上演されることもあるのだろう。