山アラシのジレンマ

「山アラシのジレンマ」*1という言葉をご存じだろうか?
ご存じない?
じゃあ、ぐぐれ!
ぐぐるのが面倒?
じゃあ、簡単に説明しておこう。間違いが混じっていてもしらないよ。
むかしむかしあるところに2匹の山アラシがいた。1匹は体が赤かったので赤山アラシ、2匹めは体が青かったので青山アラシ、3匹めは体が黄色だったので黄山アラシだ。でも、いま「2匹の山アラシ」と言ったばかりなので、余計な黄山アラシにはご退場願おう。
赤山アラシと青山アラシは温和な性格だったのだが、見た目がトゲだらけで怖そうだったので、村の人々から恐れられていた。赤山アラシも青山アラシも村人たちと仲良くなりたいと思っていたが、2匹が近づくと村人たちの顔は青ざめ「ひぃぃ、山アラシが来た!」と叫んで、みんな家にひっこんでしまうのだった。そこで、2匹の山アラシには人間の友達はひとりもいなかった。
仕方がないので、赤山アラシと青山アラシはいつも自分たちだけで生活していた。少し寂しくはあったが、まったくの孤独ではないから平気だった。寒いときは身を寄せて、互いに支え合いながら慎ましく暮らしていた。
そんなある日、赤山アラシと青山アラシのところにひとりの偏屈な哲学者が現れて、こう言った。「山アラシにはトゲがあるから、お互いに近寄ると体のトゲが相手の体に刺さり、傷つけあってしまうのだっ!」と。本当はそんなことはないのだが、哲学者の言うことにまともに反論しても仕方がないので放置しておいた。その結果、この哲学者の言葉は「山アラシのジレンマ」として普及し、山アラシは孤独の象徴となった。それが19世紀のこと。
その後、20世紀に偉大な思想家が現れ、『山アラシのジレンマ』という書物を著し、このジレンマの解決方法を提案した。山アラシのトゲは背中に生えているが腹には生えていないのだから、後ろ足で立って正面から抱き合えば互いに傷つけあうことはない、というのがその大思想家の考えだった。
この名案を知った赤山アラシはこう考えた。「もちろん、ふつうに身を寄せ合ってもトゲが相手の体に刺さることはない。でも、たまには別の方法を試してみてもいいじゃないか」と。そこで、青山アラシにこのアイディアを話して、2匹で抱きしめあうことにした。ところが、いざ抱擁という瞬間になって、突然青山アラシは赤山アラシに背を向け、背中の針を逆立てたのだからたまらない。赤山アラシの無防備な胸や腹には青山アラシの鋭いトゲがずぶりずぶりと突き刺さってしまった。
かの大思想家の発案は「山アラシのジレンマ」の解法としては正しかったが、悪意ある者の攻撃までは想定外だった。
ああ、哀れなり、赤山アラシ!
……というようなことを大好きな人を、好きになってはいけない。*2を読んで思いついたのだが、どんなものでしょう?

追記(2007/10/25)

某所でこんなのを紹介された。荒んだ心に染み入ります。

*1:交ぜ書きの「山アラシ」より「ヤマアラシ」のほうが統一感があっていいのだが、後に触れる本のタイトルにあわせて、ここでは「山アラシ」という表記を用いることにする。

*2:情報もと:ライトノベル名言図書館 : 10/24のニュース。ふだんはあまり情報もとを表記することはないのだが、この記事で紹介されているほかの話題とのギャップが面白かったので、あえてリンクしておく。