『アクロイド殺し』と倒叙ミステリ
何を以ってフェアとするか、および倒叙の魅力 - 雲上四季について2点指摘しておきたいことがある。本当は当該記事のコメント欄に書けばいいのだが、少し長くなるので、ここで書いておく。
その1。
秋山氏は「クリスティの『アクロイド殺し』のときから、十戒と二十則がミステリを書くにあたって絶対に厳守しなければならないルールではなかった」と言うが、これはちょっと意味がつかみ取りにくい。
『アクロイド殺し』が発表された1926年当時、まだ十戒も二十則もなかったので、「1926年当時、十戒・二十則がミステリを書くにあたって絶対に遵守しなければならないルールだった、ということはない」という主張なら、反対する理由はない。ただ、後に十戒・二十則という形で明文化されることとなるミステリの暗黙のルールに『アクロイド殺し』が違反していたことは明らかだ。その「暗黙のルール」が当時のミステリ界において絶対に遵守しなければならないほど強力なものではなかった、と言いたいのなら、単に違反例を挙げるだけでは十分ではない。
その2。
秋山氏は「多くの倒叙物においてはハウダニット、つまり犯行はどのようになされたか? というのが謎の本質になります」と説明するが、少なくとも典型的な倒叙ミステリでは、犯行はどのようになされたか、ということは謎にはならない。なぜなら、犯行過程は明記されているのだから。犯人の側の事情をすべて包み隠さず記述するのではなく、犯行過程の一部を隠してハウダニットの要素を盛り込んだミステリ*1や、犯行動機を隠してホワイダニットとしても読めるミステリ*2もあるが、これらは純然たる倒叙ミステリというより、倒叙物とふつうのミステリ*3との折衷型だと考えるべきだと思う。もっとも、純粋な倒叙ミステリは犯行の不自然さがもろに出て書きにくい*4せいか、「多くの倒叙物」が折衷型になっているのは事実なので、秋山氏の説明が間違っているとまでは言わない。