猫のためのぶよぶよとした本当の前奏曲

先日、とある田舎のローカル鉄道の終着駅を訪れたところ、駅売店前を薄汚れた灰色のよく太った野良猫が歩き回っているのを見かけた。
野良猫は概して人を警戒するものだが、その猫に近づいても逃げるそぶりすら見せず、むしろ足下にすり寄ってくるほど人慣れしていた。
この駅には最近有名になった駅長がいて、土曜日になると全国から物好きな人々がやってきて駅長の写真を撮ったり、身体を撫でたりしている*1のだが、その際、餌をくれる人もいるそうだ。だが、他人から貰った餌を駅長に食べさせると身体を壊すおそれがあるので、野良猫にやってしまうのだという。そのせいですっかり太ってしまったのだ、と。
世の中には餓えに苦しむ野良猫がたくさんいる。それに比べれば、件の灰色猫は餌に困ることがないのだから、非常に恵まれた身分だといえる。だが、駅長との待遇の差を考えると、何か釈然としないものを感じてしまう。
駅長の人気は国境を越え、世界のメディアで報道されているという。一方、名もない太った灰色猫に目を向ける人はほとんどいない。これが格差社会の実態だ。

追記

たまは以前、近くの商店で飼われていたが、店が解体されて行き場がなくなっていた。いまは駅が彼女の家だ。

これはAP通信の配信記事だが、間違っているところがある。解体されたのは商店ではなくて、店の隣にあった猫小屋だ。また、駅が家だというのも正確ではない。勤務時間中は駅長室にいるが、寝泊まりは別の場所でしている。

*1:ちなみに日曜日は駅長は休みなので会えない。