鶴屋

今読んでいる「地名の社会学」という本に京都市内に11箇所あるという亀屋町という地名についてこうあった。

「地名の社会学 (角川選書 424)」(P48-49)

油小路通上長者町下るの亀屋町の由来を調べると、江戸初期には鶴屋という名の旧家にちなんで「鶴屋の町」と呼ばれ、寛文十二(一六七二)年の『洛中洛外大図』には鶴屋町と記されているのだが、「犬公方」こと徳川綱吉の娘が鶴姫といったため、元禄元(一六八八)年に民間で鶴の字を使用することを禁止、そのため亀屋町に改称したのだという。他にも二か所ほど、おそらく同時期に鶴から亀に変わった亀屋町があるようだ。

為政者が地名を変えさせるというのはよくあることだとは思うのだけど、娘の名前が鶴だから鶴禁止っていうのは面白いなぁ。読んでて相当笑った。ジャイアンかよ。当時の人たちもこう言われたときは「はぁ?」って感じだっただろうなー。

これを読んで、少し調べてみた。

1688年2月1日、綱吉は溺愛するあまり、「鶴字法度」を出し、「鶴」の文字と紋の使用を禁止している。これにより、井原西鶴は一時期名を「西鵬」と改号している。また、京菓子の老舗・駿河屋は、この法令によって屋号を「鶴屋」から現在のものに改めた。

「鶴字法度」というのは初めて知ったが、駿河屋改名の一件については以前、鶴屋と駿河屋という記事で言及したことがある。総本家駿河屋の公式サイトでは次のように記述されている*1

室町年間中期(寛正2年-1461年)
初代岡本善右衛門が、舟戸の庄(現在の京都伏見の郊外)に「鶴屋」の屋号で饅頭処の商いを始める。
万治元年(1658年)
五代目当主の時、徳川頼宣公に召抱えられ、駿河紀州和歌山へとともに移り、紀州家御用菓子司として代を重ねる一方、発祥の地伏見には、「総本家」をおく。
貞享二年(1685年)
徳川綱吉公の息女鶴姫の紀州家降嫁が決まり、同名をはばかって屋号の返上を願い出る。
元禄2年(1689年)
代わって徳川家ゆかりの地「駿河」にあやかり、「駿河屋」の屋号を賜る。

これを見ると、駿河屋の改名は鶴字法度以前のことで、ウィキペディアでの記述と齟齬がある。
それはともかく、鶴屋と駿河屋でも書いたように、今でも「鶴屋」と名乗っている和菓子屋はいくつもある。以前は、京都から和歌山に移った総本家が「駿河屋」と改名し、京都に残った分家がそのまま「鶴屋」と名乗り続けているのだと思っていたが、鶴字法度により強制的に地名や人名まで改名させられたのだとすれば、屋号がそのまま残っているのはおかしい。そこで、いくつかの「鶴屋」のサイトをみると、鶴字法度より後に創業した店ばかりだった。
屋号の一部に「鶴屋」を含む和菓子の店が多いことと、駿河屋の旧名が「鶴屋」だったことの間に関係があるのかどうかまでは調べられなかったが、少なくとも直接的な暖簾分けによるものではないことははっきりしただけでも大きな収穫だった。
ところで、2年前には「鶴屋」と文中に書くだけでアクセス数がのびるという状況だったが、今はどうだろう? 今回ははわざと見出しも「鶴屋」にしてみたのだが……。

*1:関係箇所を抜粋のうえ、タグとレイアウトを適当に改変しているので、原文に忠実な引用ではない。