現実に溢れる虚構

「現実とは何か?」と問われたら「その問いは不適切だ」と答えるがいい。なぜなら、「現実-とは-何か?」という問いは「現実に」から「に」を落とした「現実」が単独で成り立っているかのような誤解のもとにあるからだ。
「現実に」はひとつのまとまりであって、これを「現実-に」と分節してはならない。それは救いようのない混乱への第一歩だ。
では、正しい問いはどのようなものであるべきか? 「現実にかくかくしかじかであるとはどういうことか?」という類の問いだ。「かくかくしかじか」の部分には何らかの事態や出来事を代入する。いかなる事態や出来事にも言及せずに、単に「現実」なるものについて問うのはナンセンスだ。
さて、今ここに「現実に溢れる虚構」というフレーズが提示されている。これを、「現実」という何か器か場のようなものに「虚構」が溢れている状況だと解釈してはならない。そうではなくて、これは要するに「実際に物語が大量に生産されているということ」に過ぎない。「現実/虚構」を対概念だとみなしたくなる誘惑を退けなければならない。
しばしば形而上学者は「現実世界」と「虚構世界」を対比させる。そのような思考実験をもナンセンスだとは言わない。だが、「現実世界」などという確固としたものがどこかにあって、それと「虚構世界」という朧気なるものとが対照されていると考えるのは早計だ。「現実世界」も「虚構世界」と同じく作り物に過ぎない。どちらも、さまざまな出来事を素材として構成されているが、「現実世界」のほうは、現実にそうである出来事のみから成り立っているのに対し、「虚構世界」のほうは現実には成り立っていない出来事をも含んでいる、という違いがあるだけだ。
……こんなことをつらつらと考えているうちにこれの締切が明日に迫ってきた。慌てて書くには書いたが、投稿を躊躇う出来にしかならなかった。うーん、今回は見送るか。
そういえば、「そういえば」と「総入れ歯」って似てるよね? まるで涼宮ハヒルと涼宮ヒハルのようにそっくりだ。えっと、香坂百合が演じたのはハヒルだったっけ、それともヒハル?