人と自然の共生

その昔、「男女共生社会」という珍妙な言葉があった。今でもこの言葉を使っている団体や役所は少なからず存在するが、徐々に「男女共同参画社会」に言い換えられるようになっている。考えてみれば、どんなに性差別が激しい社会であっても男と女が共生していることには違いないのだから、この言い換えは当然だ。
一方、「人と自然の共生」という言い回しもよく使われる。特に最近使用例が増えているのではないかという気がする*1。困ったことだ。というのは、人と自然はカテゴリーを異にする存在者であるのだから、そもそも「共生」などという関係が想定できないからだ。「男女共生社会」は単に珍妙な言葉に過ぎなかったが、「人と自然の共生」はほとんどナンセンスの域に達していると言わざるをえない。
強いて言い換えるなら「人と野生生物の共生」くらいか。だが、このように言い換えてしまうと、もうひとつの問題が顕在化する。それは、もともと生物学用語である「共生」*2を、その本来の語義を逸脱して転用することにかかる問題だ。
専門用語が一人歩きして別の分野で別の用法とともにのさばるのはよくあることで、それをいちいちとがめだてしても詮ないことだ*3。だが、もとの専門分野やそれに近接した分野でルーズな比喩的用法が蔓延するのは何かと具合が悪い。できれば「共生」という言葉を使わずに「人と自然の共生」という言い回しを使う人が本来意図しているような意味内容を適切に表現できればいいのだが、コンパクトな言い換え語が思い浮かばない。まさか「人と自然の共同参画」とも言えないだろうし。
かくして、「人と自然の共生」は野放しのまま日本語の意味論的秩序を破壊し続けることになる。合掌。

*1:そういう気がするだけのことで、別に根拠となる統計データがあるわけではありません。念のため。

*2:共生 - Wikipediaを参照。

*3:だが、言葉の野放図な濫用を知りつつ加担するのは知的誠実さを疑われる行為なので、自覚のある方は控えられたほうがよろしい。