富山のかなしき「逆ストロー現象」

本題の前に見出しについて一言断っておく。
最近出版された『古語と現代語のあいだ ミッシングリンクを紐解く (NHK出版新書)』という本を読んでいると、「かなし」という語は単に悲哀を表すだけでなく、つよく心のうごかされるさまを表現する語だと書かれている。従って、「かなし」は、嬉しさや喜びなどをも表しうることになる。このような「かなし」の用法は、いわゆる「古語」だけでなく、明治に至ってもまだ残っていた、というのがこの本の筆者の主張であり、若山牧水の有名な「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」に従来の定説とは全く異なる解釈を提示している。これは面白い。で、今日の話題とは全然関係はないのだが、ふと「かなし」という言葉を使ってみたくなった次第。わかりにくい見出しでごめんなさい。
では、本題に入ります。
いま、「ストロー効果」という言葉や概念の歴史について調べている。ネット上の資料だけでは十分にわからないことが多い。これまでに発見した最も充実した資料は「明治期以降の鉄道整備に対する考え方の変遷に関する研究」だが、そこで引用ないし言及されている文献は電子化されていないので、図書館巡りをしなければならない。特に期限があるわけではないので、暇のあるときにぼちぼち調べて、ある程度まとまったら公表する予定だ。
さて、ストロー効果について調べているときに、こんな文書を発見した。

これは富山経済同友会が2007年5月に発表した提言書だ。全文を読んでもそう長くはないが、忙しくて読んでいる間がない人のために、当座の話題に関係のある部分を抜き出しておく。

東海北陸道の開通、北陸新幹線の開業という2 段階で進む高速交通網の発展によって、富山県においていわゆるストロー現象が発生することは避けることができない。特に、第3 次産業における購買力の流出は、最も懸念される事項である。首都圏・中京圏における商業・サービス業関連施設の充実は明らかに優っており、高速交通網インフラという”ストロー”により購買者の流動性が高まれば、魅力の高いほうへ吸われるように流れていくのは必至であり、”流れを止める”ことは難しい。また北陸地方においても、金沢のような都市へ大規模店舗が集中的に出店することにより、購買力流出がさらに加速すると予測される。
さらには若者を筆頭とする人材の流出、首都圏・中京圏に本社を持つ富山駐在事務所の撤退など、さまざまな分野の経済活動でストロー現象が発生することが懸念される。

この見解は極めて妥当だと思われる。この提言書の少し前に金沢駅前に金沢フォーラスが開業しており、富山と金沢の都市間競争が顕在化した時期だった。当然、来るべき北陸新幹線の延伸への不安も募っていたことだろう。いや、新幹線よりも近々に迫っていた東海北陸自動車道の全通のほうにより危機を抱いていたかもしれない。
では、このストロー現象への懸念に対して、富山経済同友会はどう考えたか?

高速交通網という”ストロー”の流れは一方向ではなく、富山県の強みをさらに強化することで吸引力を高め、逆の流れを起こしていかねばならない。
本県は屈指の産業集積が形成された実業の県であり、高速交通網の発展は産業集積を高め、ビジネスチャンスを拡げる絶好の機会にほかならない。交通網によりもたらされる優位性を最大限に活用し、企業立地をはじめ新規事業への進出と企業内起業、新産業の創出に取組み、産業活性化と意欲ある人材が活躍できる場を創っていくべきである。
また観光・居住面では、白銀の立山連峰の偉容を望み、四季折々に豊富な富山湾の恵みを味わえる自然の魅力は、都市圏では得ることができない癒しと生への深い感動を人々にもたらす。素材のよさを活用し、併せてその周辺に関わる「もてなしの心」を強化していくことで、いっそう多くの人が訪れる環境を整備するべきである。
ストロー現象を起こすことを念頭に置いて、本県の強みである産業と自然の魅力をさらに飛躍させることで、交流人口の増加、ひいては定住人口の増加が期待できる。

ありゃりゃ。「流れは一方向ではなく……逆の流れを起こしていかねばならない」というのは、なんだか言葉のつながり方が変な感じがする。文法的に間違っているわけではないけれど、将来予測の文脈から「ねばならない/べきである」論への移行を一つの文の中で行っているので、論旨が飛躍しているという感じが強くなってしまう。
「ストロー」の流れが一方向ではないというのは当然のことだが、逆方向の流れが必ずしも地方にとっていいものだとは限らない。

ストロー効果とは逆の効果のこと。大資本の商工業者が地方に流入することなどが該当する。逆ストロー効果によって地元資本の小規模な商工業者などが影響を受けるとされる。ただし、大資本による工場などの進出は地方にとってメリットをもたらす場合もある。

細かな言い回しにケチをつけるなら、「産業と自然の魅力をさらに飛躍させる」という表現も変。以前、「魅力発信」の不思議 - 一本足の蛸で書いた違和感と同じことが「魅力を飛躍させる」という言い回しについても言える。言葉尻をとらえて重箱の隅をほじくっているだけのように思う人もいるかもしれないが、概してこのような不自然な表現は、自然な書き方では意図した流れへと文章を進めることができないときに用いられるものだ。細かな言語表現への違和感を機に立ち止まって考えてみることは意義のないことではない。
いま引用した箇所に続いて、「産業と自然の魅力をさらに飛躍させる」具体策が提示されているのだが、いちいち言及するのは避けて、見出しのみ紹介することにしよう。

  • 産業集積を高める物流結節点機能の強化を
    1. 物流ターミナル拠点の整備と企業集積の強化
    2. 伏木富山港の港湾機能の強化
    3. 周辺アクセス道路の整備
    4. 並行在来線を活用した物流サービスの展開と地域内交通の連携強化
    5. 空港の活用
    6. 外国人にやさしい生活環境の整備
    7. 産学官連携による産業クラスターの推進と起業による雇用創出
  • 自然の魅力を活かし、もてなしの心を
    1. 自然の魅力を打ち出す
    2. 感謝・感動を積極的に伝える
    3. お客の声を拾いサービスに還元する
    4. もてなし県民運動の実践
    5. 積極的に友人、家族を巻き込む
    6. 県外出身者の声を聞く
    7. 新しい観光ルートをPRする

なんだか、もうお腹いっぱい*1
さて、この提言書が出されてから6年が過ぎた。まだ北陸新幹線は延伸してはいないが、東海北陸自動車道は2008年に全線開通している。その効果はどうだったか?

これらの文書を読むと、提言書に書かれていた「交流人口の増加」はある程度実現していることがわかる。では、「定住人口の増加」のほうはどうか? こんなグラフを描いてみた。

地域別統計データベースから引っ張ってきた富山県の転入者数と転出者数のデータをそのまま忠実にグラフにしたらこうなった。なんだかよくわからないグラフになってしまった。「わかりやすさ」を重視するなら、波線省略にでもすればよかったのだろうが、あまりテクニックを弄して見栄えをよくするのは好きではない。
グラフの元データは次の通り。

調査年度 転入者数 転出者数
1975 20845 22356
1976 19754 21260
1977 20072 21310
1978 19880 21077
1979 19759 20699
1980 18531 20026
1981 18299 20294
1982 18747 20566
1983 18600 20474
1984 18015 19719
1985 17599 19225
1986 17529 19668
1987 17351 19636
1988 16865 18989
1989 17032 18886
1990 17352 19020
1991 17575 18701
1992 17195 18937
1993 18251 18188
1994 18124 17900
1995 18164 17870
1996 18716 18315
1997 18064 18578
1998 17965 19117
1999 17108 18167
2000 17065 18233
2001 16427 18756
2002 15861 17651
2003 15466 16827

1993年から1996年まで転入者数が転出者数を上回っているが、それ以外の時期は転出者のほうが転入者よりも多い。すなわち人口の社会減が続いている。その傾向は2008年以降も変わっていない。転入者・転出者ともに1975年からほぼ右肩下がりの減少基調となっている。いろいろ想像は可能だが、理由はわからない。少なくとも提言書に書かれていた「定住人口の増加」が実現していないことだけは確かだが。
さらに国勢調査人口データを用いたコーホート分析を……というようなことも考えないではなかったが、そこまでやる意欲がないのでやめておく。
最後になったが、「逆ストロー効果」と「逆ストロー現象」という語を検索してみると、どうもニュアンスに違いがあるような印象を受けたことを記しておく。
ストロー効果」と「ストロー現象」は同じことで、そこに意味の違いがあるという話は聞いたことがない。だったら、上に「逆」をつけても同じことだろうと思うのだが、「逆ストロー効果」は交通網の整備によってストロー効果とともに生じる逆向きの流れを主に指すのに対して、「逆ストロー現象」のほうはストロー効果ないしストロー現象に抗して逆の動きを起こそうという運動ないし行動指針を指しているように思われる。はてなキーワードの「逆ストロー効果」*2と、件の提言書の「逆ストロー現象*3との意味のずれは明らかだろう。ただし、まだ用例の収集が十分ではないため、現段階では仮説にとどまることを断っておく。

*1:余談だが、『リカーシブル』に出てくるスローガン「高速道路はすべてを救う」を連想した。

*2:幹線交通網整備の社会的なメリットとデメリット【PDF】も参照。

*3:同様の用法は逆ストロー現象 〜ストロー現象で疲弊したまちはカジノでよみがえるか?〜にも見られる。なお、この文章の中で「逆ストロー現象」は筆者の造語だと書かれている。