熊森批判と餌付け容認の風潮

熊森協会だけが特別に批判されるべきと思えないのだが - 法華狼の日記熊森だけじゃないほかも問題だ!・・・それで?誰に向けてるの? - ならなしとりを続けて読んで「うーん」と唸ってしまった。
前者の主要な論点は次の段落から読み取ることができる。

つまるところ、野生動物への餌付けに問題性があるという考えが共通理解されてないだけではないのか。猿に餌をやっては駄目だという報道や、その結果として猿が人の餌を狙うという報道は単発的に存在しても、たとえば日常風景で野鳥に餌をやったりする姿は好意的に報じられるだけで慎重さを注意されることはない。

見出しだけを見れば、日本熊森協会擁護と受け止められかねないが、本文をきちんと読めばそれが誤解だとわかるように書かれている*1。たとえば、

熊森協会も、とりあえず熊の折り紙でも折ってみたらどうだろうと思う。紙がもったいないなら不要なチラシでも使えばいい。

これなど、熊森に対する痛烈なイヤミなのだから。
熊森が大々的にやってる「ドンプレ」と称する餌付け*2は問題が大きいということを認めたうえで、そのような餌付けが容認されてしまう社会風潮を問題視したのが熊森協会だけが特別に批判されるべきと思えないのだが - 法華狼の日記だ、というのが自然な読み方だろう。
それに対して、後者ではこう書かれている。

今回は新年からあまり気分の良くない記事ですがお付き合いのほどを。初めに言っておくと、調べもしない周回遅れはえてしてドヤ顔で御高説を垂れる傾向にあるようですね。そして彼らは何を望んでいるのかさっぱり分からない。

【略】

タイトルからしても「熊森だけじゃない他の餌やりも問題だ!なぜ熊森批判者は目を向けない!」ということが言いたいようですね。熊森がどうして批判されているかはこのブログをお読みの皆様には周知でしょうが、あえて書いておくと“効果の定かでないリスクを徒に上げる行為を繰り返し、それを無検証のままでいる”というのが批判理由の一つです。

【略】

結論から言うと、「そんなの分かってるけど?分かり切った指摘を最前線の人間に向けることに何か意味があるの?」ですね。この人にとっては熊森批判者はその程度もわからんアホに見えるんでしょうね。

【略】

しかし、この人は何が言いたくて何を望んでいるんでしょう?2つの記事の文面を見る限りでは「熊森批判者は餌やり問題が持つ普遍的な問題に目を向けていない」と読み取れましたが。

私見では、これは誤読であり、法華狼の日記の筆者はならなしとりの筆者をはじめとする、熊森批判者に向けて文章を書いたのではないと思われる。というか、特に対象読者層を絞った書き方ではなく、漠然と不特定多数の人々に向けて書かれた文章だろう。
強いて対象読者層を想定するとすれば、たとえば、熊森の「ドンプレ」とそれに対する批判についてはある程度知っているが、別に熊森の活動に参加するわけでもなければ共鳴しているわけでもなく、自分とは無関係だと思っているような読者がターゲットだと考えられるかもしれない。そんな人に対して「自分は無関係? 本当にそうですか? あなたはテレビで『野生動物と人とのふれあい』を紹介する番組を見て、単純に『いい話だなー』と肯定的に感じませんでしたか? また、観光地で一袋100円か200円の餌を買って、かわいい小動物や鳥などに餌やりしたことはないですか? そうして行動の積み重ねが、餌付けを容認する社会風潮を作り上げ、熊森の『ドンプレ』を支持しているのですよ」と自省を迫っているのだ、とも感じられる。もっとも、これはかなり穿った解釈で、自然な読みの帰結ではないとも思うが。
いずれにせよ、熊森協会だけが特別に批判されるべきと思えないのだが - 法華狼の日記トンデモ業界ひっつきもっつき - 法華狼の日記、そして熊森だけじゃないほかも問題だ!・・・それで?誰に向けてるの? - ならなしとりでは直接言及されていない熊森協会はイメージが良い - 法華狼の日記のどこにも、熊森批判者への批判の意図は含まれていないと思うのだが、如何?

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これは去年12月23日に書いた文章だが、大晦日に追記しているので、できれば併せて読んでみてください。

*1:後続のトンデモ業界ひっつきもっつき - 法華狼の日記では、よりはっきりと「熊森協会を擁護することが目的ではない」と書かれている。

*2:「これは餌付けではない」という餌付け - 一本足の蛸でも書いたが、熊森のやっていることは、彼らがどう自認しているかに拘わらず、餌付けであることに疑いはないと考える。「そうじゃない。ドンプレは餌付けとは違う何か別の行動なんだ!」という異論をお持ちの方もいるかもしれないが、少なくともここでは「ドンプレ」が餌付けだという前提で話をしていることだけは了承していただきたい。