愚劣な反論をするくらいなら名案がないことを認めたほうがましだ

バードストライクに関して云えば、天敵である猛禽類の姿や声を流すだけで、近寄らなくなると思いますね。

これはあまりにもひどいと思ったので、バードウォッチングが趣味の元同僚*1に意見を求めたところ、一言「素人」と吐き捨てるようにコメントが返ってきた。
この件についてははてなブックマーク - 原子力消極的賛成派の方々へ その2 - シートン俗物記などで何人もの人が批判しているので、あえて付け加えることもないのだが、ひとつだけ。
仮に、猛禽類の姿を映像で流したり*2、録音した声を流したりすることで、鳥たちが風車に近づかなくなったとしよう。それで問題は解決するのだろうか? なるほど、風車に近づかなければバードストライクは生じない。だが、本来の生息環境から追い払われた鳥たちが安定的な群れを維持できなくなるという恐れは十分にある。
また、仮に追い払われた鳥の群れそのものにはあまり大きなダメージがなかったとしても、問題はほかにも考えられる。たとえば、風力発電施設が渡り鳥の主要な渡りのルート上に設置されて、渡りのルートが変わってしまった場合を考えてみよう。その場合、風力発電施設のある場所だけ迂回するのではなく、越冬地や繁殖地、中継地などをかえてしまうこともある。もし、そうなると、これまで毎年決まった季節に鳥の群れがやってきた場所に鳥が来なくなる、あるいは逆にこれまでほとんど来なかった場所に大群がやってくる、といった異変が生じることとなり、それらの場所の生態系に大きなインパクトを与えることとなる。
もちろん、事柄の性格上具体的にどのような不都合が生じるかは事前にはなかなか予測できない。ただ、多くの場合、生態系の破壊がいったん生じてしまうと二度と基には戻らないものだから、具体的な予測ができないというだけの理由で考慮の外に置いてはいけない。
……と、あれこれ書いてはみたものの、実を言えば、バードストライク問題は「風力発電の利害得失」というテーマのもとでは大きな問題であるにしても、「原子力発電の利害得失」というテーマのもとではさほど大きな問題ではないと思っている。じゃあ何でこんな文章を書いているのかといえば、有効な解決策が見つかっていない問題に対して、一見「わかりやすい」方法を提示して取り繕うのは危険だという思いがあったからだ。この点については、ややニュアンスに違いはあるものの、わかりやすい、の危険性 - シートン俗物記が参考になるだろう。

追記(2011/05/14)

原子力消極的賛成派の方々へ その2 - シートン俗物記の5/13付の追記に次のように書かれている。

ですから、バードストライク問題は“ためにする難癖”に過ぎない。低周波問題も同じです。それほど近隣住民の健康問題が気になるなら、鉄道、道路、空港、工場周辺住民はどうなのよ?という事になる。

この問題に関しては(原子力消極的賛成派に対し)まともに取り合う気などありません。本当に、バードストライクや健康問題を本当に気にする人なら、原子力に賛意を示す、なんて事はありえませんから。

この見解には全く同感だ。それだけに、本文中の「天敵である猛禽類の姿や声を流すだけで、近寄らなくなると思いますね」というコメントの愚劣さが際立つ。最初からこんなこと書かなきゃよかったのにねえ。

*1:以前、『ストップ!風力発電―巨大風車が環境を破壊する』を貸してくれた人。

*2:原文では映像を用いるとはどこにも書かれていないが、「流す」という動詞からそのように解釈した。