「コンパクトシティ」が抱える3つの課題

まずは、見出しに掲げた「3つの課題」を先に書いておこう。

  1. 郊外から中心市街地へ人を戻すために、何らかの強制的あるいは半強制的な手段を用いるとすれば、憲法上の問題*1をどうクリアするのか?
  2. 郊外から中心市街地へ人を戻すために何らかの経済的インセンティヴを与えたり*2中心市街地へ人を誘引するための事業を推進したり*3するとすれば、財政上の問題をどうクリアするのか?
  3. 仮に郊外から中心市街地へ人が戻ったとき、残された郊外の廃墟や残骸をどう処理するのか?

もちろん、これが「コンパクトシティ」の課題のすべてだというわけではないだろうが、あまり手広く論じることもできないので、これくらいにしておこう。
さて、こんなことを考えたのは、

もちろん、自分は「コンパクトシティ」が処方箋だと考えていますよ。それはなぜか、といえば「連立方程式」の「解」だから、です。次はその点について説明していきます。

と、それに対するコメント

katamachi 都市, 自治体 "「コンパクトシティ」が処方箋だと考えています""「連立方程式」の「解」だから"。うん、だから「コンパクトシティ」は処方箋にならないし「解」でもない。説明先送りで主張を押し通される手法はいつも気になる 2009/05/27

を読んだのがきっかけだ。
なお、後者で「説明先送りで主張を押し通される手法」と書かれているのは、以前、

読んでくださった皆さんは、この事をどうお考えになるでしょうか。その処方箋は存在するのか。それがコンパクトシティだとして、それは

welldefined 21世紀のポルポトは郊外民を中心街に下放する

と指摘されるような強制性を伴うものになるのか。次回はその処方箋について述べてみます。近日公開予定。

と書かれているのに、その後数ヶ月全く続きが書かれていないということを踏まえてのことだろう。
この箇所に関しては、

その理想は間違っていない。でも、舶来の施策に特有の違和感もあったりする。

【略】

コンパクトシティみたいな街ができれば素晴らしい。でも、大規模小売店舗やクルマ社会を悪玉とし、「べき論」で語られても困惑する。いや、現状ではたくさん問題があるんだと言われても、「お説ごもっとも、スミマセン」としか言えない。だって、僕たちはそんな"郊外"に住んでいるのだから。それを"自滅する地方"として扱われてしまうのは、なんだか解せないモノがある。過激なタイトルの方がいいというのは分かるけどさ。老朽木造住宅が密集する市街地での区画整理などの現場を見てきたんで、語り口が冷ややかになるのは申し訳ないんだけど。

という批判がなされており、さらに

コンパクトシティ構想」というのは、そうした都市機能の多核化、分散という発想に対するアンチテーゼとして期待されているのだろう。開発のターゲットを郊外から既成市街地に戻すことで、中心性の高い都市作りを目指す。人口減と財政抑制に見舞われる近未来には、"効率的"な都市が実現できるかもしれない。

理念としては正しいのかもしれない。でも、処方箋ではない。

確かに、都市の"核"が、まだある程度、中心部にある自治体なら"可能性"はあるかもしれない。郊外化のスピードを緩める程度には役立つかも。

だが、人口20〜50万人程度の県都クラスでそんな都市があるのかどうか。役所がそのスローガンを標榜している青森市富山市では実現可能なのか。単に国から補助金を引っ張り出すための"方便"に過ぎないのでは。

ましてや、中心部が「自滅」してしまった都市ではどうなのか。

と議論が展開されている。
冷静に読めば、シートン俗物記の中の人*4の主張への批判と、地方行政への批判とが混在していて、もりくち氏*5の批判は必ずしも決定的なものではないように思われる。しかし、これだけの批判に晒されているのだから、まずはそれに対する応答を行うほうが先だろうと思わないでもない。たぶん、そのあたりのもやもやが「説明先送りで主張を押し通される手法」という言い回しとなってあらわれたのではないか。
というような忖度はこれくらいにしておいて、冒頭に掲げた3つの課題に戻る。これらは、言うまでもなく「コンパクトシティ」という理念に対する批判ではない。理念を実行に移したときに想定しうる難点を掲げたものに過ぎない。今の日本の社会状況をみると、本気でコンパクトシティを実行しようという動きはさほど大きくはない*6ので、現段階でコンパクトシティの難点をことさら挙げることにどの程度の意味があるのかは疑問だが、予め検討できるのならそれに越したことはないだろう、という程度の軽い気分で書いてみた。
課題1と2はコンパクトシティの遂行そのものにかかる問題で、課題3はコンパクトシティが遂行中または完了時に発生する問題なので、論理的には同じレベルの事柄ではない。強制も誘導もなしに中心市街地に人を戻すことができるのなら課題1と2はクリアする必要もないが、どんな手段でコンパクトシティを実現しようが3は必ず直面せざるを得ない。
住宅、商店、道路、公園、水道など多くの施設が約半世紀の間に郊外に作られた。人は都心に回帰し、郊外から姿を消すかもしれないが、それらの施設は自動的に消滅するわけではないし、削られた山や埋められた谷が元の姿に戻るわけでもない。いま衰退している中心市街地で起こっているのと同じ問題が、コンパクトシティ実現の暁に郊外でも起こることになるのだ。
いや、郊外の廃墟化は既にあちこちで見られる現象であり、コンパクトシティが実現しなくても、新たな郊外開発が進めば、古い郊外は廃れていくことになる。その意味では、これを「コンパクトシティ」が抱える課題、と表現するのは問題の矮小化に過ぎないかもしれない。
話がどんどんずれていくような予感がするので、今回はこれでおしまいにする。次回予告はありません。

*1:主に第22条及び第29条。

*2:中心市街地への移住に対する補助金や税制上の優遇措置など。

*3:再開発や公共交通の整備など。

*4:はてなIDを人名のように扱うことに抵抗があるので、なるべくハンドルか本名(公表されている場合)で呼ぶことにしているのだが、ブログ情報 - シートン俗物記では「太一=シートン=山田」と書かれていて、これはさすがに呼称として使いづらいので、本文では「シートン俗物記の中の人」と書いた。

*5:本名も公表されているが、ハンドルを優先した。

*6:名目としての「コンパクトシティ」は近年よく見聞きするようになった。いろいろ言いたいことはあるが、時間がないので省略。興味のある人はこのあたりを参照していただきたい。