メルヘンとしてのローカル線復活

ローカル線で行こう!

ローカル線で行こう!

実は真保裕一の本を読むのはこれが初めてだ。江戸川乱歩賞受賞作の『連鎖』も読んでいないし、映画化された『ホワイトアウト』も読んでいない*1。もちろん、『ローカル線で行こう!』の前に出た同傾向の『デパートへ行こう!』も未読だ。では、なぜ『ローカル線で行こう!』を読んだのか? 答えは簡単だ。そこに鉄道があるから。
……とはいえ、当初あまり期待していたわけではない。赤字で廃線間際のローカル線をどうにかして立て直す話なのはわかるのだが、その「どうにかして」が現実離れした方法だと鼻白むし、現実に即した方法だと立て直すことはできない。はっきり言って無茶な題材だろう。そう思ったわけだ。
同じくローカル線を舞台にした『若桜鉄道うぐいす駅』は、ローカル線の存廃問題には触れずにひたすら駅舎に焦点を絞って書かれた小説だった*2。いや、ひたすら焦点をずらした小説だった、と表現するほうがいいかもしれない。しかし、『ローカル線で行こう!』はそうではない。さて、どう処理するのか?
そこで思い出したのが、『ロズウェルなんか知らない』だ。鉄道ネタではないが、過疎地を舞台にした小説で、これは非常に面白く一気読みしたのを覚えている*3。今から思えば、鉄道ネタでなかったから素直にメルヘンに浸ることができたのだろうと思う。『ローカル線で行こう!』もよく書けている小説なのだが、一気には読めなかった。イベントが成功してどんどん乗客が増える、という展開には素直に頷けない。
で、もたもたしているときに、たまたま見つけた本がある。
鉄道は生き残れるか

鉄道は生き残れるか

小説ではない。そして、メルヘンではない。ただただひたすら読者に冷水を掛け続けるような、そんな内容の本だった。
『鉄道は生き残れるか』を読んだ後で、中断していた『ローカル線で行こう!』に再び取りかかった。もはや、景気のいい鉄道復活物語への反発は消えうせていた。人間、冷徹な現実ばかりでは生きていけないものだ。人生には夢が必要だ。
そして、つい先ほど読み終えたところだ。面白かった。うん、ローカル線に人がいっぱい乗ってよかったねっ!
このような爽快な小説を読んだ後で、鉄道の公共性がなんたらかんたらというような難しい話はしたくないので、これにておしまい。
……あ、最後にひとつだけ。これは鉄道とは関係ないのだが、炭鉱には防水シートを敷けないのでは?

*1:でも映画はなぜか映画館でみた。今となってはどうしてだか覚えていない。

*2:それを読んだときの感想文はこちら。見出しですべてを言い尽くしているので、本文は読まなくても構わない。

*3:そのときに書いた感想文はこれ