「「「「「意味」の意味」の意味」の意味」の意味」の意味」
以前から何度も書いたことなので適当に書き飛ばすことにする。
よく「生きる意味は何か?」などと大まじめに問う人がいるが、「生きる意味」の意味、またはより一般的に「意味」の意味について全く考えることなしに、あたかもそれが自明なことであるかのように語っていることが多く、非常に不思議だ。
意味とは目的のことなのか? もしそうだとすると、生きる意味を問う場では、生きることを手段と捉えているのか? それとも、手段と対にならない目的などというものがあるのだろうか?
「生きることの意味とは××だ」という答えが与えられたとき、「××の意味は何か?」とさらに問うことは可能なのか? もとい、さらに問うことが可能なものとして、「意味」を理解しているのか? それとも、意味づけられるということは、それ以上の意味づけの問いが生じなくなるということか? もとい、それ以上問うことが不可能なものとして「意味」を理解しているのか?
意味とは理由のことか? 理由と原因は同じなのか? 全然別のことか? それとも一方が他方の部分なのか?
これらの問いに予めきちんとした回答を用意しておくことは、たぶんできない。しかし、「生きる意味は何か?」と問う作業の中で、同時に「意味」の意味についても考えるのでないと、この問いには意味*1がないということになるだろう。「意味がない問いにも意味がある」と考えることに矛盾はない*2が、そんなことを主張しても意味がない*3。