既視感

ある日、爆弾がおちてきて (電撃文庫)

ある日、爆弾がおちてきて (電撃文庫)

この本はライトノベルでは珍しいノンシリーズ短篇集だ。ライトノベルは基本的にキャラクター重視なので、一作ごとにキャラクターを使い捨てる短篇集はなかなか出版されることがない。出るとすれば、よほど水準が高い粒ぞろいの作品が揃っているか、それとも作者の名前だけで確実に売れる見込みがあるかのどちらかだろう。古橋秀之は作家歴は長いものの、失礼ながら、レーベルの看板作家とは思えない。ということは、内容で評価されたということだろう。その意味では、昨年出た『眠り姫 (富士見ファンタジア文庫)』に似ている。*1
古橋秀之の作品を読むのはこれが初めてだったのだが、そういうわけで非常に期待しつつ読んだのだが、その期待は裏切られなかった。面白かった。さすが、各方面で絶讃されているだけのことはある。
以下、少し内容に触れます。
最初、表題作「ある日、爆弾がおちてきて」を2ページほど読んだときに、思わず「うひゃあ!」と叫びそうになった。*2なんで叫びそうになったかというと、学校*3の屋上でタバコを吹かす少年とか、それを見つけてタバコを1本とる少女の仕草とか、二人の会話とか、少年の成績の悪さとか、何から何まで既視感に満ちていたからだ。ここまでコテコテに型通りの描写だとは……。少々呆れながら続きを読むと、主人公の高校時代の回想シーンも、「爆弾」が空から落ちてくる場面も、何もかもがありきたりだった。
このまま読み続けたら、いったいどこへ連れて行かれるのだろう? そんな不安を感じながらさらに読み進める。徹底的にえろげーフォーマットで書かれたエピソードの数々、そして結末。ここまでくると、「ありきたり」というネガティヴな言葉は適切ではない。様式美の極致というべきだろう。美少女型爆弾というあざとい設定*4も最初は鼻についたものの、ここまで書き貫かれると脱帽するしかない。
次の「おおきくなあれ」は、記憶が退行する奇病「ゴードン症候群」に罹患した少女と、その幼なじみの少年の話だ。「ゴードン症候群」という名前の由来は、言うまでもなく梶尾真治の名作「もう一人のチャーリイ・ゴードン」だ。*5これもまた面白かった。
集中もっとも暗い雰囲気の「恋する死者の夜」、それとは対照的にほのぼのとした雰囲気の「トトカミじゃ」、そしてコメディタッチの「出席番号0番」、懐かしのジュブナイルSF風味の「三時間目のまどか」と続き、最後が問題作「むかし、爆弾がおちてきて」だ。これは……ちょっと評価が難しい。「美亜に贈る真珠」「美亜へ贈る真珠」にあまりにも似ていて、でもパクリというほどには似ていない。時間SFとしてのアイディアだけでみれば、「お助け」とか「化石の街」とか、ほかにもいくらでも類例があるのだから、ことさら特定作品との類似を云々すべきものでもないのかもしれない。生粋のSFファンの反応を聞いてみたい。
全部読み終わった感想をまとめると「新味はないけど、安定した筆致で読ませる好短篇集」という感じ。それぞれのアイディアを具体化するために手続きとして導入された細かなエピソードの数々に、職人芸をみることができる。欲をいえば、ライトノベル以外の小説をあまり読んでいない読者向けのリファランスがあればもっとよかったが。

*1:もちろん、古橋秀之貴子潤一郎の作風が似ているというわけではない。

*2:実際には叫ばなかったが、それは駅のベンチで電車を街ながら読んでいたからで、もし周囲に人がいなかったら本当に叫んでいたかもしれない。

*3:正確にいえば予備校だが。

*4:某美少女型携帯電話マンガを思い出してしまった。

*5:というのは言うまでもなく冗談だ。