「電車は何故24時間運転しないのか?」「儲からないからだ」

見出しに疑問形と断定の両方を入れてみる*1テスト。長くなるのが難点か。「24時間運転」のかわりに「終夜運転」にすれば少し短くなるが、「終夜運転」という言葉を知らない人への訴求力が弱くなる。人目を惹く見出しをつけるのは難しいものだ。
……楽屋裏の話はこれくらいにしておいて。

一見しただけでツッコミどころが多い文章だ。秀逸なツッコミを紹介しよう。


電車を24時間運転させるのは極めて簡単だ。丁半賭博で40回くらい連続して勝てれば、結構なお金が手に入る。それで、現行路線の下(か上)に、重複路線を敷設。昼夜交替で運行すればいい。賢明なPJニュース の著者だ。やってみたらどうか。
で、ここから保守の話へと進んでいくわけだが、それはリンク先(のさらにリンク先)を読んでいただくのがいちばんだろう。ここでは別のツッコミを入れてみよう。というのは、「終夜運転って儲かるの?」ということだ。
「儲かる」という言葉に抵抗を感じる人は「採算がとれる」とか「費用に見合う収益がある」とか、そんな言葉に読み替えて頂いて結構だ。鉄道経営は営利事業なので、損するとわかっている新規サービスに踏み込むような愚はおかさないだろう、と言いたいわけだ。
ああ、「鉄道経営は営利事業だ」という断定はなんと悲しいことだろう! 昔はそうじゃなかった。鉄道は公共財であり、国民の移動の自由を具体的に保証する手段とみなされていた。それが政争の具となり「我田引鉄」などという熟語も生まれ、全国各地に採算性度外視の鉄道が建設され、やがて国鉄解体へと導いたわけだが、そのような負の側面は認めるとしても、今でも「鉄道は単なる営利事業であってはならない」と言いたくはなる。だが、運営補助は打ち切られ、優遇措置もどんどんなくなり、規制緩和で廃止も容易になり、今では毎年のように赤字ローカル鉄道が廃止されているのが現実だ。
閑話休題
元記事で提言されているように、仮に1時間に1本の間隔で、0時から5時まで5本の電車を運転することにしよう。東京から近県への帰宅のための足なので、下り電車のみで上り電車の増発はしないものとする。いや、上り電車を設定してもいいのだが、そうすると5本が10本になってしまう。ここは元記事の想定に従うことにしよう。
1時間1本の運転間隔ということは地方のローカル鉄道並だ。今手許の時刻表で調べてみると東金線久留里線の日中のダイヤに近いものとなるだろう。しかし、運転間隔が似ていても運行形態までが同じになるわけではない。
たとえば、都心部を走る電車は長大編成だ。切り離し可能な車輌もあるが、単行や2輌編成で走れる車輌が東京にそう多くあるわけでもない。「じゃあ、深夜運転用にローカル線から持ってくれば?」と考えるのは安直過ぎる。回送の手間、信号設備の違い、その他さまざまな障害がある。長大編成をそのまま運用するのが最も現実的だろう。すると、2、3輌でも十分な乗客に対して無駄に電気代を使うことになる。
さらに人件費の問題がある。京浜東北線埼京線ワンマン運転はできない。そんな設備は車輌に取り付けられていない。だから、最低でも1編成に車掌が1人乗務しなければならない。人件費が嵩む。
では、駅員のほうはどうか。ローカル線には無人駅がいくらでもあるが、首都圏の通勤路線はたいてい有人駅だ。改札は自動化されていても、駅そのものの図体が大きいから、営業時間中に係員が全くいないというわけにはいかないだろう。各駅に1人ずつ駅員を配置することにする。さらに人件費が嵩む。
嵩むのは人件費だけではない。深夜のことだから、照明も必要だ。田舎のローカル駅なら待合室に蛍光灯を1本つけておけば済むが、これも都会の駅ではそうはいかない。新子安や新検見川、新松戸など*2が真っ暗のまま、1時間に1本の電車が粛々と発着する光景はちょっと想像しがたい。通常時間帯に比べれば多少は光量を落とすにしても、かなりの経費が必要になるだろう。
まだまだいろいろ問題はあるが、ごく大雑把にいっても、首都圏の深夜に1時間1本の電車を走らせるのに必要な経費は、東金線久留里線の日中に1時間1本の電車を走らせるのに必要な経費よりずっと高くつく。にもかかわらず、首都圏の鉄道運賃はローカル線のそれよりずっと安い。
たとえば、地方交通線である久留里線の全線32.2営業キロの普通運賃は650円だが、東京の電車特定区間内なら同じ営業キロで540円にしかならない。特定区間*3ならもっと安くなる。たとえば、新宿-八王子間は37.1キロで460円だ。大量輸送のスケールメリットで単価を下げているわけだがこの運賃で引き合うだけの客が深夜に得られるだろうか? たぶん無理だろう。
そうすると、深夜運賃または深夜料金を設定することになる。システム更新にかかる費用を考慮すれば、運賃はそのままで追加料金を徴収するほうが現実的だと思うが、いずれにせよ相当な手間がかかる。いっそ、特急列車の間合いで「深夜ホームライナー」を運行すれば……と考えると、深夜急行バスの発想に近くなる。そういえば、深夜急行バスは今どうなっているのだろう? 最近、全然その話題をきかないのだが。
鉄道に詳しい人なら、より具体的なデータをもとに精密な議論を展開できるだろうが、これでもまあ大筋では間違っていないと思う。とはいえ、いろいろと抜けていることがあるはずなので、ご指摘いただければ幸いだ。
本当は、次の箇所にツッコミを入れたかった。

 世の中グローバルになるにつれ、スムーズな流れ、人、モノの流通が生活のインフラになる。デジタル革命でネットワークがシームレスになり続けるだろう。コミュニケーションメディアのテレビ、新聞等も24時間体制が完璧になるだろう。地球での仕事には、昼や夜の区別は無くなっている。
だが、下手に踏み込むと神学論争のような泥沼に踏み込む恐れがあるため、易きに流れてしまった。ちょっと残念。

*1:このあたりからの影響。

*2:駅名に「新」がつくものを例に挙げてみたが、そのことに特に意味があるわけではない。

*3:JRと私鉄が競合しているところで、本来の営業キロに応じた運賃より安い運賃を設定する制度。