以上の考察を約言すれば、と狩野亨吉博士は言った


 以上文體の考察を約言すれば、此文は文法も知らず典故も知らずして書いたもので、且つ全體の調子より察して比較的近頃の人の作と思はせられる。

 以上書體の考察を約言すれば、此書は素人の筆で、菱湖の風を受けてゐる所より推測して、天保以前に遡らしめることの出來ないものである。

 以上内容の考察を約言すれば、此文書の史實が認められないのみならず、應永二年に竹内某々の書いたといふことも全く僞りと極まり、且つかゝる出鱈目を書く資格は明治も末年の無學のものに限られてゐると云ふ斷案が伴ふことになる。

 以上文體の考察を約言すれば、此文は假名違ひがあり、假名の多過ぎたるも時代の下れることを示し、口寄せ風の口調も如何はしいことであり、之を長慶天皇の宸翰など稱するは實に以ての外のことである。

 以上書體の考察を約言すれば、此等二つの文書の筆者は長慶太神宮御由來の筆者と同一であると云ふ事實に歸着する。

 以上内容の考察を約言すれば、二通の文書の記すところ大體長慶太神宮御由來の記事に含まれ居るか或は演繹すべき範圍のもので、全く虚構に過ぎないのである。

 以上文體の考察を約言すれば、此文は長慶天皇御眞筆の文と同じく全く甚しい僞作である。

 以上内容の考察を約言すれば、此文書は後醍醐天皇御眞筆とあるに係らず、崩御後二年一ヶ月を經た日附で書かれてゐるから、全く怪しからぬ僞物である。

 以上文體の考察を約言すれば、教養ある人の手に成るものと取ることの出來ない俗惡の文章であり、殊に發音上シスの區別を爲すことの出來ない疑も加はり、此點地方的色彩濃厚となり、中央政府の重要なる地位にある平群眞鳥の筆になるなどとは、凡そ信ずべからざることである。

 以上書體の考察を約言すれば、文字は極めて克明に書いてゐるが古雅の風致に乏しく、至つて近頃のものの如く想はれる。

 以上内容の考察を約言すれば、内的矛盾を含むのみならず、明治後に至り漸く知れ渡つたことを記するなどのこともあり、之を雄略天皇時代の記録となすは妄も甚だしい。

 以上文體の考察を約言すれば、此文書は神代文字で記してゐるが、他の文書と同じく近頃のもので、其作製は第五文書より後るるものと推斷される。

 以上書體の考察を約言すれば、神代の文字と見ても餘り上手な書神の手とは取れず。結局此文字は後世の文字で、瞞著を化粧する第二の瞞著に過ぎないものであるとの判斷に歸着する。

 以上内容の考察を約言すれば、此文書は荒唐無稽全く信を置くに足らない。

 以上數節に於いて試みた批判を要約すれば、天津教が天下の至寶として誇示する天照太神後醍醐天皇長慶天皇の御眞筆及び平群眞鳥、竹内宗義等の眞筆と稱するものは、第一に文章は揃ひも揃つて下手であり、肝心な語法語調も億萬年を通して不變なるのみならず、誤謬は頑強に保持せられて共通永存してゐる。第二に筆蹟は孰れも見事ならず、著しく近代風を帶びたる上に類似の點多く、一々別人の手に成るものと取れない。第三に所説は正史と矛盾するばかりか、明治以後漸く知れ亙つた如きことを平然として述べてゐる。依て追次此等の文書に就き、其文體、其書體及び其内容の檢討を遂げ、悉く最近の僞造であることを暴露せしめたのである。此上疑問として殘る變態性は之を稱明し得たところで、僞造の事實を動かすことは出來ない。故に天津教は五つの致命傷を蒙り完全に生息の道を絶たれたに等しいのである。