弦楽のための編成と分類

20世紀最後の20年間に愛知県が生んだ最も偉大な室内楽作曲家、猫釜神康氏の弦楽アンサンブルの分野における業績を紹介しよう。
猫釜氏は幼少の頃からボッケリーニの弦楽五重奏曲に親しみ、自らもボッケリーニを模した習作をいくつか物していたが、長じてモーツァルトの弦楽五重奏曲第4番を聴く機会を得た。後に氏は次のように語る。
「いや、驚いたのなんのって! 弦楽五重奏って、弦楽四重奏にチェロ1本足した編成だと思ってたのに、モーツァルトの弦楽五重奏曲はチェロは1本のままで、そのかわりヴィオラを2本に増やしているんだから!」
凡人にとってはさほど驚くべきことでもないこの事実に、天才はひどく心動かされ、そして悩んだ。単に「弦楽五重奏」と言ったのではヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロ1という編成なのか、それともヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ2という編成なのか、区別がつかないではないか、と考え込んだのである。
猫釜氏は三日三晩悩み続け、四日目の未明に妙案を得た。ふたつの弦楽五重奏を区別するため、ヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロ1の編成を「甲種弦楽五重奏」、ヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ2の編成を「乙種弦楽五重奏」と呼び分けることにしたのである。
俄然、創作意欲を掻き立てられた猫釜氏はその日のうちに長年慣れ親しんだ乙種編成による弦楽五重奏曲を作曲した。これがかの丙種弦楽五重奏曲第1番ヘ調(op.36)である。乙種編成のために書かれた音楽になぜ「丙種」というタイトルがついているのかはすぐに説明する。なお、これ以前に作られた同編成の習作は、「第0番」「第00番」「第000番」と便宜上呼ばれることとなったことを附記しておきたい。
さて、猫釜氏は引き続いて新しく知ったヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロ1の編成、すなわち氏の命名による甲種弦楽五重奏のたためのソナタの作曲に取りかかったのだが、その最中に氏は「弦楽五重奏の編成は果たして『甲種』と『乙種』の2種類に過ぎないのだろうか?」という疑問を抱いた。まさに天才作曲家ならではの直観により、弦楽五重奏の編成の可能性がまだあることに思い至ったのである。
果たして調べてみると、ドヴォルザークの弦楽五重奏曲第2番は猫釜氏が考えた甲種弦楽五重奏でもなく、乙種弦楽五重奏でもなく、ヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ1、コントラバス1という編成であることが判明した。猫釜氏は直ちにこの編成に「丙種弦楽五重奏」という名を与えたが、すぐに考え直し「丁種弦楽五重奏」に改名した。これとともに、従来の「乙種弦楽五重奏」は「丙種弦楽五重奏」に、「甲種弦楽五重奏」は「乙種弦楽五重奏」にそれぞれ改められることになった。そこで、先のop.36の弦楽五重奏曲のタイトルも現行のものとなったわけである。
猫釜氏が編成名を変更したのには理由がある。氏は「真の甲種弦楽五重奏」とでも呼ぶべき楽器編成の存在に思い至ったのであった。それは、弦楽四重奏にヴァイオリン1挺を加えたものである。
かくして猫釜式弦楽五重奏編成分類が完成した。

甲種弦楽五重奏
ヴァイオリン3、ヴィオラ1、チェロ1
乙種弦楽五重奏
ヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロ1
丙種弦楽五重奏
ヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ2
丁種弦楽五重奏
ヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ1、コントラバス1

むろん、純粋に数学的観点に立てば、この分類にあてはまらない楽器編成を考案することは容易である。たとえば、「ヴァイオリン1、ヴィオラ2、チェロ2」や「ヴァイオリン1、ヴィオラ1、チェロ2、コントラバス1」など。だが、猫釜氏にとって弦楽五重奏とはあくまでも「弦楽四重奏+α」であったので、このような理論的編成には見向きもしなかったのである。
さて、猫釜氏が生涯に作曲した弦楽五重奏曲は甲乙丙丁併せて125曲に及ぶ。このうち、もっとも曲数が多いのは乙種弦楽五重奏曲で83曲、次いで丙種弦楽五重奏曲が28曲となっている。これに対して丁種弦楽五重奏曲は10曲しかなく、甲種弦楽五重奏曲に至ってはわずか4曲しか遺されていない。甲種編成は高音に偏りすぎ、また、丁種編成は低音が厚すぎるため、どちらもややバランスが悪いのが、これらふたつの編成の曲数が少ない主要因だと考えられている。
なお、晩年の猫釜氏は自身の弦楽五重奏曲中最多の乙種編成のための音楽をさらに細分化し、第1類から第4類に分類した。この再分類の基準は次のようなものである。

乙種第1類弦楽五重奏曲
皇帝に帰属するもの(33曲)
乙種第2類弦楽五重奏曲
この分類に含まれるもの(21曲)
乙種第3類弦楽五重奏曲
立派な駱駝の刷子をひきずっているもの(3曲)
乙種第4類弦楽五重奏曲
引火性液体(主にガソリンと灯油)

この分類は謎めいており、猫釜氏の生前には誰も意図を読み解くことができなかった。そして天才作曲家、猫釜神康の125曲の弦楽五重奏曲は1曲も演奏されることなく、今なお早稲田大学図書館の書庫の奥底で初演の日を待っているのである。
最後に猫釜氏最晩年のことばを紹介しておこう。
「甲種、乙種そして丙種弦楽五重奏曲を演奏するには、たかだか弦楽四重奏団のメンバーのうちの1人が2人に分裂するだけで足りる。だが、丁種弦楽五重奏曲を演奏するには、別途コントラバス奏者を調達しなければならない」