かつめしと明石焼き

先日、かつめしを食べるために加古川を訪れた。恥ずかしながら、これまでかつめしを食べたことが一度もなかったのだ。
事前に加古川観光協会「加古川ええとこ ぽけっとなび」 かつめしマップを見て、加古川駅構内の加古川市民ギャラリーかつめしマップがあることを調べておいた。でも、現地に行ってみると、案内地図がなくても市内のあちこちの飲食店でかつめしまたはかつライスを食べることができるということがわかった。
とりあえず駅の近くの店でスタンダードなビフカツのかつめしを食べて、それから少し歩いて、トンカツのかつめしも食べた。本当は3食くらい食べ比べしたかったのだが、胃袋が受けつけなくて断念した。
かつめし初体験の感想を一言で言うと「全国区にならない料理にはそれなりの理由がある」。先月、熊本で食べた太平燕もそうだったが、かつめしもまずくはないがインパクトが小さい。だが「地名+料理名」で日本中に広まるのが必ずしもいとは限らない。ほどほどに知られつつ、ご当地でないと味わえないという稀少性を保ったままのほうがいい場合もあるだろう。
かつめしを食べて満腹してから明石へと向かった。明石焼きを食べるために、というわけではない。本当は須磨海浜水族園に行こうと思っていたのだが、途中、明石駅で乗り換えのためホームに降り立ったとき、明石市立文化博物館ドーム ガラスの美展のポスターを見かけて、ふらふらと途中下車してしまったのだ。その展覧会をみた後、常設展示室に展示してある明石焼*1をみて、明石焼き*2が食べたくなった。そこで、博物館のあと明石城跡を散策して腹ごなしをしてから、明石駅の南にある魚の棚商店街に行き、明石焼きを食べた。
満腹になった。
ところで、以前聞きかじった知識では、明石では明石焼きのことを「明石焼き」とは呼ばず「玉子焼き」と呼ぶはずだったが、実際にはどの店でも「玉子焼き」とだけ表記することはなく、必ずといっていいほど「明石焼き」と併記してあった。観光客相手に商売をする際に「玉子焼き」では誤解を招くという配慮なのだろうが、こうやって文化は均質化し、地方の独自性は失われていく。
以前、『B級グルメが地方を救う』を読んでもやもやするものを感じた*3が、その理由がだんだんわかってきたように思う。地域の独自性を世間に広くアピールするうちに通俗化が進んで独自性が薄れてゆくという問題に対して、この本はあまり深く掘り下げていなかった*4ことが心の奥底でひっかかっていたのだろう。
もちろん、この問題はご当地料理に限ったことではなく、地域をアピールするツール全般について多かれ少なかれ生じうる問題ではあるのだろう。たとえば、「昭和30年代の街並みを再現」とか「やなせたかし先生デザインのマスコットキャラクター」とか「ふるさと創生の1億円でボーリングして掘り当てた温泉」とか。だが、レシピと材料さえあれば基本的にどこでも同じようなものが作れる料理の場合に特に問題が顕在化しやすいとも言えるのではないか。いや、「問題」といっても、テーマパークを誘致し大コケするような悲惨な事態にはならないから、たいして気にする必要もないのかもしれない。
うまく考えがまとまらないので、今日のところはこれでおしまい。

*1:そういう焼き物があることをその時初めて知った。明石焼 - Wikipedia参照。

*2:ここでは便宜上、陶磁器のほうを「明石焼」、食べ物のほうを「明石焼き」と表記方法を変えているが、そういう明確な区別があるわけではない。

*3:そのときの感想文はこちら。我ながら歯切れの悪い文章だ。

*4:というか、全くスルーしていたのではないかと思う。もしかしたら読み飛ばしているだけかもしれないので断言はしないが。本当は再度読み返して確認すればいのだが、それはちょっと勘弁してもらいたいというのが本音だ。