計算について

某所にて、1足す1の計算を例にとって、数学とは人間が考えたものであり人間の脳の産物だ、という主張を導いているのを見かけた。人間が考えたものが即ち人間の脳の産物だという考えには強い疑問がある*1のだが、それはさておき、計算の実例として1足す1を取り上げるのはいかがなものかと思う。というのは、多くの人は計算抜きに1足す1が2であることを導き出すからだ。
我々は1足す1が2であることを知っている。「1足す1は何?」と尋ねられたなら、既知の答え「2」を思い出すだけで足りる。ここに計算の入り込む余地はない。仮に強いて1足す1を計算しようとするなら、たとえばまず指を一本折って*2、次にもう一本の指を折り、しかる後に折った指の本数を数えるというような操作を行うことになるだろう。あるいは、指の代わりに算盤を使ってもいいし、電卓を使ってもいい*3。だが、これらの活動は、数のしくみについて未熟な子供ならともあれ、ある程度数学に馴染んだ者*4にとってはあまり自然な振る舞いではない。やはり、1足す1の答えを導くのに計算は不要だと考えるべきだろう。
では、どの程度複雑な数式であれば、計算して答えを出すことになるのだろうか。それは人それぞれだとしか言いようがない。大きな数を含む数式であっても馴染みのものであれば、記憶を辿るだけで答えを出せることがあり得るからだ。たとえば、次の問いに対してあなたはどうやって答えを出すのだろうか?

問題
1+2+3+4+5+6+7+8+9+10+11+12+13+14+15+16+17+18+19+20+21+22+23+24+25+26+27+28+29+30+31+32+33+34+35+36+37+38+39+40+41+42+43+44+45+46+47+48+49+50+51+52+53+54+55+56+57+58+59+60+61+62+63+64+65+66+67+68+69+70+71+72+73+74+75+76+77+78+79+80+81+82+83+84+85+86+87+88+89+90+91+92+93+94+95+96+97+98+99+100=

よほど軽はずみな人でない限り、この問題に含まれる数が1から100までちゃんと順番に並んでいるかどうか、間に脱落や重複がないかを確かめるために確認作業を行うだろうから、その分の時間はかかることになるが、ひとたび確認が済めば、すぐに「5050」という答えを出せる人が大半だろう。といのは、この問題は次のエピソードにあらわれるものだからだ。

ガウスはドイツのブラウンシュヴァイクで煉瓦職人の父親と、清楚な母親の元に生まれた。子供の頃から彼は神童ぶりを発揮し、逸話として、小学校での話がのこっている(彼は後年好んでこの話をしたそうだ)。ある時、1から100までの数字すべてを足すように課題を出された。それを彼は、1 + 100 = 101、2 + 99 = 101、3 + 98 = 101… となるので答えは 101×50 = 5050 だ、と即座に解答して教師を驚かせた。

ガウスは教師を驚かせる仕方で100項の足し算をやってのけたが、我々はそのエピソードを知っているので彼よりも早く答えを出すことができる。もちろん、「なぜすぐに答えを出せたのかって? そりゃ、答えを知っていたからです」と言っても教師は驚かない*5だろうが。
一方、ごく稀には神童ガウスのエピソードを知らないか、知っていたとしても計算結果を覚えていない人がいるかもしれない。実在するかどうかは別として、いちおうそのような人の存在を想定することは可能だろう。そこで、自分がそのような人になったつもりで考えてみると、件の問題に答えるためには計算*6が必要だということになる。
少し例示が長くなってしまったが、これにて同じ式を与えられて答えを出すことになったときに、人によっては計算なしで済ませることができるが他の人にとっては計算が必要になることがある、ということをご理解いただけたと思う。
では、次に、ある程度複雑な式を計算するときに人が行っているのはどのような行為であり、それはどのような背景と根拠を持つのか、という話題に移ろうと思ったのだが、ここまでの文章を書いている間にかなりの時間が過ぎてそろそろ仕事に行かなければならないので続きが書けなくなった。今日は夜勤だ。寒さが身にしみる。
続きは夜勤明けに、というわけにはいかない。深夜勤務の疲れで頭がうまく働かなくなっているだろうから。仕事そのものはさほど頭を使うものではないのだが、その影響はもろに思考能力に影響する。当たり前といえば当たり前のことだが、考えようによっては不思議とも言える。

*1:なぜ人間の心臓の産物であってはいけないのか? いけない、と断じる理由は人間の思考能力は心臓にではなく脳に依存するという近代科学の知見へのコミット以外には考えにくいのだが、当該某所では科学そのものを懐疑のふるいにかけるような書きぶりだった。

*2:計算の際に立てた指を折るのではなく、折った指を立てるという方法もあるが、原理的には同じことなので、ここでは指を折る方法のみを紹介する。

*3:いずれにせよ、それらの計算行為はただ単に考えるということではなくて、人間の身体や器具への働きかけを伴っているこれは数学が人間の脳の産物だという主張に対する直接の反証とまでは言えなくても、それに対する疑義を補強する材料のひとつにはなるだろう。

*4:というのは、だいたい小学校低学年以上を想定している。

*5:もしかたら別の意味で驚くかもしれないが。

*6:愚直に1から順に足しあわせていくのか、それともガウスと同じ方法で計算するのかは、この際大きな違いではない。