「同じ」であるとはどういうことか?

「正直村で二人の人に同じ質問をしたら違う答えが返ってきたの。」

「一人は嘘つき村の人だったんだ。」

「違うの。どちらも正しい答えをしたの。」

この問題にはあまりエレガントではない別解がいくつもあるため、ストレートにパズルとして提示した場合には余詰だらけの欠陥問題になってしまう。そこで、上のリンク先では二人の人物の会話というスタイルでひとつひとつ抜け道を潰して最後にもっともスマートな「正解」を明かす*1という方法をとっている。というわけで、本当は最後の一行以外をすべて引用しないときちんと紹介したことにならないのだが、さすがにそれは遠慮しておく。真にパズル的センスを有する人なら、今引用した箇所を読んだだけで、ほぼ唯一の「正解」にたどり着くことができるだろうと信ずる。
さて、「正解」に到達した上で再度冒頭の一文を読み返してみよう。この発話者は二人の人に「同じ質問」をした、と述べているが果たしてそうだろうか? 正直村の住民は常に正直に正しく答えるのだから、同じ質問に対しては同じ答えを返すはず。にもかかわらず、二人の人が別の答えを返したということは、質問が同じではなかったということではないだろうか。
この考えを推し進めていくと、こうも言えるのではないか。「同じ言葉で異なる質問を行うことができる場合がある」と。同じ質問を異なる言葉で行うことが可能な場合があるのだから、異なる質問を同じ言葉で行うことが可能な場合があってもおかしくはないだろう。
もっとも、この主張は、「同じ質問であるということは同じ意味内容の質問であるということだ」という立場に依存している。「同じ質問であるということは同じ質問文による質問であるということだ」という見解をとれば成り立たないことは言うまでもない。

*1:ただし、当然のことながらすべての抜け道を潰しているわけではない。たとえば、「今何時ですか?」など。