ひき逃げ犯と非対称性

よくひき逃げ犯のことを考えます。ひき逃げ犯は、もう問答無用で犯罪者であるわけですが、しかし、事故を起こすその一瞬まではただの一般市民です。思うに、かれはその瞬間、初めて自分がひき逃げをするような人間であるということをしるのではないでしょうか。

かれはそのときまで自分が犯罪者になりえるような素質を持っていることをしらないと思うのです。自分は善良で正常な一般市民だと思っているひとが、ひとをはね、逃げ出してしまう――逢魔の瞬間。そのとき、「善良な自分」というセルフイメージは粉々に砕け散り、二度と元に戻ることはありません。

逆もまたいえます。ひとを助けるため、燃えさかる火のなかに飛び込んでいくようなひとがいます。本物のヒーロー。しかし、かれもまた、まさにそのときまで、自分が火のなかへ飛び込めるような人間であることをしらないのではないでしょうか。

この文脈で「かれ」という言葉を使うのはごく控えめに言ってもかなり不用意だ*1と思う。
それはともかく、見出しの件について。
ひき逃げ犯がひき逃げをするまではただの人だというのは、なるほどそのとおり。何をもって「ただの人」とみなすかについて若干の疑義がないでもないが、「ただの人=ひき逃げ犯ではない人」と解釈すれば、ほぼトートロジーだとすら感じられるほどだ。だが、これはトートロジーではない。ひき逃げ犯がひき逃げするまではひき逃げ犯ではないのに、ひき逃げしたときからひき逃げ犯であるというのはなぜなのか、という問いが提起できる。
このような問いは無意味だと思う人もいるかもしれないし、無意味ではないが病的だと思う人もいるだろう。あるいは、そもそもこの問いが何を意味しているのかが理解できない人がいちばん多いかもしれないが、かまわずに先を続けることにしよう。
もう一度、先の問いを繰り返す。

  • ひき逃げ犯がひき逃げするまではひき逃げ犯ではないのに、ひき逃げしたときからひき逃げ犯であるというのはなぜなのか?

少しひねって、こう表現するほうがわかりやすいかもしれない。

  • ひき逃げ犯がひき逃げするまでひき逃げ犯であり、ひき逃げしたときからひき逃げ犯でなくなるというふうになっていないのはなぜなのか?

もうひとつ別の問いを考えることにしよう。
ひき逃げ犯がひき逃げをしたときにひき逃げ犯になる。では、ひき逃げ犯はその後いつまでひき逃げ犯であり続けるのか?
なお、言うまでもないが、この問いは犯罪の時効や受刑者の権利の回復に関する法的な問題提起ではなく、純粋に概念的な問いである。
ひき逃げ犯は死ぬまでひき逃げ犯だ、と考えるのがもっともなように思われる。では、死んだらひき逃げ犯ではなくなるのか? ある意味ではそう言うこともできる。しかし、ここでの「ひき逃げ犯ではなくなる」という言葉は、ひき逃げ犯でない人がひき逃げ犯になるという変化の逆の変化を意味しているのではない。たとえば、世の人々を「ひき逃げ犯」と「ひき逃げ犯でない人々」に二分したとして、ひき逃げ犯になるということは後者のグループから前者のグループに所属をかえるということにほかならないのだが、いま想定しているひき逃げ犯が死を迎えて「ひき逃げ犯ではなくなる」状況は、前者のグループから後者のグループに再度所属をかえるということを意味するわけでは全くない。ひき逃げ犯は死によってどちらのグループにも所属しなくなるだけだ。
ここでちょっとひき逃げの被害者のことを考えてみよう。ひき逃げの被害者はひき逃げされるまではただの人*2で、ひき逃げされたときにひき逃げの被害者になる。この構造はひき逃げ犯と同じだ。では、ひき逃げの被害者はいつまでひき逃げの被害者なのか? 「ひき逃げ犯は死ぬまでひき逃げ犯だ」という主張と同様に「ひき逃げの被害者は死ぬまでひき逃げの被害者だ」と主張するなら、それは非常に奇妙なものに思われる。通常、ひき逃げの被害者が死んだらひき逃げの被害者でなくなるとは考えないものだ。
ひき逃げ犯の場合には、死んだらひき逃げ犯ではなくなるという考え方にもある程度のもっともらしさが感じられるのに、ひき逃げの被害者の場合にはそうではない。これはいったいどうしてなのか? ひき逃げ犯の場合にもっともだと感じたのは間違いで、本当はひき逃げ犯は未来永劫ひき逃げ犯のままなのか? それとも、ひき逃げ犯とひき逃げの被害者の間には、死によって変化が生じるかどうかについて非対称性がみられるのか?
疑問はさらなる疑問を生み、謎はさらに深い謎を呼ぶ。
これらの問題について満足な説明を与えることはもとより諦めているが、さらに考えを深めたい人*3のためにヒントをひとつ。
ある人が結婚したら未婚者から既婚者になる。その後死別ないし離別により配偶者がいなくなっても既婚者が未婚者に戻ることはない。つまり未婚者はいったん未婚者でなくなったら少なくとも死ぬまではそのままだ。しかし、独身者は違う。独身者が独身者でなくなっても、配偶者がいなくなれば独身者に戻る。未婚者と独身者の間にはこのような違いがあるが、それは事象そのものの違いというより、「未婚者」と「独身者」という言葉の使い方に違いがあるというべきだろう。ひき逃げ犯の場合も同じように考えられないだろうか?
最後に一つお詫び。ここまでの話の中で、ひき逃げが、「ひいて、逃げる」という二段階からなる行為だということを意図的に無視している。本当は「ひき逃げしたとき」の時間の幅をどうとるのかという問題も考慮しなければならなかったのだが、話を簡単にするためあえてその問題に立ち入るのを避けておいた。

*1:ブログを読んでもブロガーのことはわからないと思うよ。 - Something Orangeでは「かれ、ないし彼女」という言い回しを使っているのだから、性別が特定されていない人物について人称代名詞「かれ」を用いることの問題は十分承知しているのだと思うのだけど……。

*2:「ただの人=ひき逃げの被害者ではない人」と解されたい。

*3:そういう人がいるかどうかはわからない。純粋に仮定の話だと思っていただきたい。