年の終わりに

一年というのは地球の公転周期であり、特に始まりも終わりもない。今日が一年の終わりだというのは、今日が一年の終わりであるような暦法を採用しているからそうなるだけのことだ。暦法に相対的な一年の終わりにどの程度の意味があるのか、いろんな意味で疑問がある。社会生活を営む上では、暦年よりも会計年度のほうが大きい意味合いを持っているのではないかという気もする。
とはいえ、今日が12月31日で、明日には12月32日にも13月1日にもならず、これまでの月日のカウントがリセットされて1月1日に戻るということは否定しようのない事実であるから、まあこの一年のことを振り返ってみるのも悪くはないように思う。
個人的な生活に即していえば、今年は何の激動もない年だった。去年より仕事がきつくなったので、読書に割くことができる時間がいよいよ減ってしまったという点では残念な年だったが、それ以外は平穏無事で、特に大病を患うこともなく、身内に不幸が降りかかることもなく、宝くじが当たることもなく、宝くじを買うこともなかった。去年に比べてより孤独の度合いが増すこともなく、相変わらず、そこそこほどほどに自分が独りだという思いに苛まれ続けた一年だった。
その中で強いて異例な事態を探すとすれば、やはり鳥インフルエンザの蔓延がいちばんだろう。これは、個人的な生活だけでなく、日本中の多くの地方で多くの人々が振り回され、不安におびえ、そして実害を被った大事件だった。昨年の秋くらいから危機が高まり、ピークに達したのが今年1月から2月頃、3月には事態は収拾に向かっており、3月11日の東日本大震災と翌3月12日の栄村大震災の発生により、すっかり記憶が上書きされてしまった感があるが、鳥インフルエンザはまだまだこれから何度も何度も押し寄せるはずなので、すっかり忘れ去ってしまうことはできない。
個人的なレベルを離れて日本全体に目を向ければ、やはり大震災がもっとも大事件だったと言えるだろう。もちろんここでいう「大震災」とは栄村大震災のことではなく、東日本大震災のことだが。
東日本大震災は、地震津波による被災だけでも後々まで尾を引くこととなっただろうが、原発事故を伴ったせいで、数十年先まで「過ぎ去ろうとしない過去」として日本人の前に立ちはだかることになるだろう。それが日本をどのように変えていくのか、今のところは何とも言えないが、あまり明るい想像はできない。
では日本以外はどうかといえば、震災とは関係なく、暗雲漂う未来を予感させる事象が多発している。何ともかんともやるせない。
翻って、再度、自分の生活に目を向けると、来年も突発的な災厄がない限り、今年より悪くなるという兆しは見えてこない。何だか世界と自分が決定的に切り離されているような、奇妙な感覚にとらわれる。こんなことでいいのだろうか?
明日から新しい一年が始まる。それは単に暦法に相対的なこととはいえ、人に会えば「おめでとう」と挨拶をすることになるだろう。さて、言葉でいうほどおめでたい人間になれるかどうか。