大正天皇の寿命がもう少し長かったなら

クレオパトラの鼻がもう少し低かったなら、歴史は変わっていただろう」という有名な言葉がある。パスカルの言葉だということだが、出典は知らない。別にルソーでもモンテスキューでもかまわないので詮索するつもりはない。ともあれ、歴史はごく些細だと思われる事柄で大きく変化するものだ、というたとえだ。
では、大正天皇の寿命がもう少し長かったならどうなっただろうか。史実では大正天皇の命日は1926年12月25日だが、たとえば1927年1月7日だったなら、その後の歴史はどうなっていただろうか。
確実に言えることは、「大正16年」が存在していたということだ。それ以外のことはよくわからない。
史実では1926年12月25日に改元されて昭和が始まっている。改元が1927年にずれ込んでいたら、次の元号は「昭和」ではなく「光文」になっていたかもしれない。とはいえ、「かもしれない」を積み重ねていけばたいていの事は言えてしまうので、ここでは保守的な立場をとることにしよう。大正天皇の寿命が半月程度伸びたところで、その後の歴史の成り行きには大きな変化はなく、その次の元号はやはり「昭和」になっていただろう、と考えるのだ。
このような方法論的保守主義の立場によれば、昭和史の流れは現実のそれとほぼ同じということになる。ただ、史実で「昭和n年」と表記される年はすべて「昭和n-1年」ということになる。これは言語表現の違いだが、場合によっては言語外の事実の違いに反映されることがあり得る。しかし、具体的な事例は思い浮かばない。
その代わりに思いついたのは、これをミステリの叙述トリックに応用できないかということだった。たとえば、戦中戦後の時期を舞台にした時代もののミステリを想定する。読者には、作中世界が「大正16年」が存在する架空の歴史に基づくものだということは伏せられている。ただ伏せただけではアンフェアだから、曜日や月齢などの情報をさりげなくちりばめて伏線を張っておく。「昭和14年には東京オリンピックが予定されていたが中止になった」というような記述は少し大胆過ぎるか。まあ、どの程度の手がかりを仕込むかは要検討。十分に仕込みを行っておいたところで、「昭和21年」8月の出来事をぼかしつつ語り、読者を大いに騙すのだ。
いいアイディアだと思うのだが、かなり読者を選ぶ小説になりそうだ。アイディア提供料はいらないので、どなたか挑戦してください。条件はただひとつ。辻真先の名作『急行エトロフ殺人事件』を上回る傑作にしてください。

急行エトロフ殺人事件 (講談社文庫)

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