労働法の問題

雇用する場合に、対象者の性別を知ることは会社にとって必要なのだろうかといったこと考えてみました。結論としては性別を知る必要はあるだろういうものですが、その理由を以下に説明します。

まず、妊娠出産にともなう産休が女性にしか認められていないということ。ただこれは、男女の区別を無くして妊娠した者に対して産休を与えるとしたところでたいした問題は無さそうです。いわゆる生理休暇に関しては、少し問題かもしれません。妊娠の場合は、それを母子手帳などの書類で確認することが可能ですが、生理休暇に対しては制度上確認できないことになっているからです。だから従業員の性別の確認をしない場合に、おそらく男性であろう者が生理休暇の申請を出してもそれを拒むことが出来ません。健康診断の項目に関しても男女で差があったような記憶もあります。

あとは、個人用のロッカーなどはたいてい男女別になっていますが、誰が女性で誰が男性かということがわからなければ分けることは出来ません。トイレに関しても男女の区別が必要というのが現在の社会規範のように思います。

個人用のロッカーが男女別、というのはやや疑問。今勤めている会社も前に勤めていた会社も男女別ではなかった。
トイレは別に会社の指示に従って入るところではないから、自分が男性だと思う人は男性用トイレ、女性だと思う人は女性用トイレに入ればいいのではないだろうか。場合によってはトラブルが発生することもあるだろうが、会社が社員の性別を把握しているかどうかとはあまり関係がないように思う。
で、主な問題は法的に定められた制度にかかる事柄に絞られる*1ことになる。

  1. 産休
  2. 生理休暇
  3. 健康診断

1はROYGB氏も言っているように、母子手帳などで確認可能だから、雇用時に性別を把握しておく必要はないだろう。いや、もしかしたら「将来、産休を取得する可能性があるかどうか」を知っておきたい、という会社もあるかもしれないが、それなら男か女かを問うのではなく、妊娠の可能性があるかどうかを問うべきだろう。求人フォームに「あなたは将来妊娠する可能性がありますか(Y/N)」という項目を立てるのだ。できるものならやってみな*2
2はどうか。「制度上確認できない」というのはどういうことだろう?
生理休暇の法的根拠は労働基準法第68条だ。

(生理日の就業が著しく困難な女性に対する措置)
第六十八条  使用者は、生理日の就業が著しく困難な女性が休暇を請求したときは、その者を生理日に就業させてはならない。

へー、法律用語でも「生理」なのか。尿意のことを「生理的欲求」などと言い換えるのと同じく、「生理日」の「生理」ももともとは婉曲表現だ。今ではすっかり定着したとはいえ、「生理学」「生理的食塩水」などのように本来の用法も生き残っているのだから、厳密さを重視する法律ではこのような言葉は用いられないと思っていた。「月経」ではなく「生理」を採用したのには何か意味があるのだろうか?
と、そんな話はさておき、法律の条文をみただけでは、「就業が著しく困難」かどうかを使用者が確認できるかどうかは書かれていない。
ウィキペディアには

日本の労働基準法では、生理日の就業がいちじるしく困難な女子は生理休暇が取得できることを定めており、勤務が困難かどうかについては、医師の診断のような厳格な証明は不要とされている(1948年5月5日 基発682号)。ただし、休暇の間の賃金については規定されておらず、使用者と労働者の間の契約(就業規則など)による。

と書かれている。では、「1948年5月5日 基発682号」をみてみようではないか。そう思って、厚生労働省法令等データベースシステムで検索してみたのだが、見つからなかった。つ、使えない……。
気を取り直して、もうちょっと調べてみると、この通達を引用したページをいくつか見つけた。いちばん引用箇所が長いところから孫引きしてみよう。

通達でも, 「生理日の就業が困難な女性が休暇を請求したときは, その者を生理日に就業させてはならないが, その手続を複雑にすると, この制度の趣旨が抹殺されることになるから, 原則として特別の証明がなくても女性労働者の請求があった場合には, これを与えることにし, 特に証明を求める必要が認められる場合であっても……医師の診断書のような厳格な証明を求めることなく, 一応事実を推断せしめるに足りれば十分であるから, 例えば同僚の証言程度の簡単な証明によらしめるよう指導されたい」 (昭 23.5.5 基発 682 号) としています。

「……指導されたい」って誰に向かって言ってるのか、という疑問もある*3が、これで大体の内容はわかった。ただ、もうちょっと調べてみると、こんなページも発見した。文中では「岩手交通事件」と書かれているが、「岩手県交通事件」の「県」が脱落しているようだ。ここでより詳しく説明されている。
いろいろ調べてみて、生理休暇という制度の運用にはかなり難しい問題が含まれているということがわかった。
さて、ここで当初の問題に立ち返ってみる。性自認がどうであれ、生物学的に男性であるならば、「生理日の就業が著しく困難な」状況になることはないので、そのような人が生理休暇を取得すれば不正取得ということになるだろう。でも、そのような事態を避けるために予め雇用の祭に性別を把握しておく必要があるのだ、と言われたらやっぱり首を傾げたくなる。いやそんなの生理休暇制度の運用の難しさという大きな問題に比べたらたいしたことではないでしょう、と。補助的な論拠としては使えるかもしれないが、少なくとも決め手にはならないと思う。
では、3はどうだろう。ずいぶん長々と書いてしまったので、「3」って何だったのか、もう忘れてしまっている人も多いと思うが、これは健康診断のことだ。じゃあ、余計な番号なんか使わずに「健康診断」って書けよ。はい、ごめんなさい。
健康診断の項目が男と女で違うというのは本当だろうか? その昔、今の会社の前の前に勤めていた会社で健康診断関係の仕事*4をやっていたことがあって、今では細かいことは覚えていないが、検査項目に男女差はなかったような記憶がある。レントゲンや心電図の撮影など、肌の露出が大きい検査項目を実施するときには男女別々にしたが、こんなのは現場で振り分ければいい話だから、雇用時に会社が性別を把握しておく理由にはならない。
会社で行う雇入時の健康診断や定期健康診断の項目は労働安全衛生規則で決まっている。いまざっと確認した限りでは、特に男女間に違いはないようだ。法的には規定はないが、福利厚生に力を入れている会社なら、子宮ガンや前立腺ガンの検査をオプションで実施しているかもしれない。その場合、予め男女の人数を把握しておいたほうが予算を見積もったり、会場の手配をしたりするのに都合がいいのは確かだが、それぞれの社員の性別をきっちりと知っておくほどのことはない*5ように思う。
以上、あれこれ考えてみたところ、会社が社員の性別を何が何でも知っておかなければならない法的な理由は特に見あたらなかった。素人がざざっとインターネットで調べただけなので、労働法の専門家*6が検討すればまた違った結論になるかもしれないし、労働法以外に未検討の問題があるかもしれないので、あまり役に立たないとは思うが。
もうひとつ断っておくと、会社が社員性別を何が何でも知らないままでなければならない法的な理由も今のところ発見できてはいない。労働法ではなくて個人情報保護法あたりに何か理由がありそうな気もするが、残念ながらそっち方面についても全く知識がないし、もういい加減うんざりしてきたところなので、今から調べる予定もない。

*1:ただしROYGB氏が言及している論点以外に何かあるかもしれない。

*2:言うまでもないが、言わないと誤解する人のために言っておこう。ここで「できるものならやってみな」と書いたのは反語であり、そのような質問項目を設けることを是認ないし推奨しているわけではない。

*3:たぶん、当時の労働省の地方出先機関あての文書だと思うが、確信はない。ところで、「当時の労働省の地方出先機関」とは何だったのか? 労働省設置法(昭和22年法律第97号)を見ればわかるはずだが、その条文を見つけることができなかった。労働省設置法(昭和24年法律第162号)は見つけたが、これでは役に立たない。さらに調べてみると、岩手労働局の成り立ちというページを見つけた。昭和22年には既に労働基準局と労働基準監督署があったようだ。

*4:健診機関との契約とか、日程調整とか、連絡や通知とか、そういった事務的なこと。医学的知識も技能も持っていないので、実際の健診にはタッチしていない。

*5:検査実務に関わる医師や技師などはまた別だが、現場の人は人事データではなく問診票により性別を把握する。

*6:たとえばこの人とか。