「論理と偽の仮定」への若干のコメントの続きの続き

  1. 日本の首都は東京である
  2. 日本の首都は大阪である
  3. 日本の首都は本州にある
  4. 日本の首都は九州にある

とりうえず、例文を4つ用意した。言うまでもなく1と3は真、2と4は偽だ。ここから「AならばB」という形の文を作ってみる。なお、「ならば」で繋いだとき日本語として不自然になる場合は「は」を「が」に置き換えることとする。
先にみたとおり、標準的な論理学では「AならばB」の真偽について次のように教える。

  1. 「A」が真で「B」が真のとき、「AならばB」は真
  2. 「A」が真で「B」が偽のとき、「AならばB」は偽
  3. 「A」が偽で「B」が真のとき、「AならばB」は真
  4. 「A」が偽で「B」が偽のとき、「AならばB」は真

では上の例文を当てはめてみるとどうなるか、やってみよう。

日本の首都が東京であるならば日本の首都は本州にある
「A」が真で「B」が真なので
日本の首都が東京であるならば日本の首都は九州にある
「A」が真で「B」が偽なので
日本の首都が大阪であるならば日本の首都は本州にある
「A」が偽で「B」が真なので
日本の首都が大阪であるならば日本の首都は九州にある
「A」が偽で「B」が偽なので

あれ? 最後の「日本の首都が大阪であるならば日本の首都は九州にある」は偽ではないだろうか? そう思った人は正しい。実は、これらの例文で用いられている「ならば」の用法は、標準的な論理学で用いられる「ならば」とは異なっていて、「A」と「B」の真偽だけからでは「AならばB」の真偽は決まらないのだ。大阪が本州にあるのか九州にあるのかという別の事情を加味して初めて「日本の首都が大阪であるならば日本の首都は本州にある」や「日本の首都が大阪であるならば日本の首都は九州にある」の真偽が決まる。
さて、本題。

それでは物理学で

「摩擦が存在しないと仮定して以下の問題を解け」

という前提が書かれていた場合はどうなるでしょうか。摩擦が存在しないという条件は真ではないので偽の仮定ですが、ならば続くものが何であっても真になるかというと、そうでもなさそうです。

「摩擦が存在しないならば……」という文は「日本の首都が大阪であるならば……」という文と同じく、常に真になるわけではない。また、後に続く文の真偽によって、これらの文全体の真偽が自動的に決まるわけでもない。摩擦に関するさまざまな物理的な事情によって文全体の真偽が決まるのだ。よって、ここでの「ならば」は標準的な論理学が扱う「ならば」と同じではない。
ここからが面白い話なのだが、この面白さについてこられる読者がどのくらいいるかは定かではないし、自分自身ちょっとついていけなさそうな不安を感じるので、とりあえずこの話題はここで打ち止めにしておこう。