大きな事業を成し遂げるには「できない理由」が必要だ

「できない理由」はしばしば不作為を正当化するために持ち出されるので、「できない理由」を挙げること自体に難色を示す人がいる。だが、これは考えてみればおかしなことで、不作為がいけないのなら不作為そのものを非難すればいいのであり、「できない理由」を誹っても仕方がない。
いや、むしろある程度大きな事業を立ち上げる場合には、積極的に「できない理由」を挙げていく必要がある。というのは、大きな事業には難点がつきものだからだ。
何も考えずにいきなり手出しすれば手痛い失敗を喫することが多い。まず、なぜその事業が「できない」のかをよく考えたうえで、どうやって「できない」を「できる」に変えていくかを検討して、難点をひとつずつ克服するべきだ。
また、利害関係が複雑な事業の場合、「できない理由」を無視して行動に出ると反対派から猛烈な非難を浴びて妨害されることがある。どうせいずれは明るみに出ることなら、反対派が持ち出す前に自分から「できない理由」を提示しておくほうがいい。
もちろん、ここでいう「できない理由」は、何らかの手だてにより回避できるものを指している。どんなに頑張っても足掻いてもどうしようもない、掛け値無しの「できない理由」があるなら話は別だ。そんな事業からはさっさと手を引くべきだ。
とはいえ、「できない理由」がかりそめのものなのか、正真正銘のそれなのかは、すぐにはわからない。はなから諦めるのではなく、考えが及ぶ限り、ひとつでも多くの「できない理由」を挙げること、そしてそれらをひとつひとつ綿密に吟味すること、その上でどうしようもないとわかったなら手を引くという手順が大切だ。
「できない理由」を単なる不作為正当化ツールとみなして矮小化する人には大いに反省を促したい。もっとも、無責任な扇動家や実務を弁えない夢想家には何を言っても無駄だろうが。